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思考をシンプルに!
民主主義の良いところ、それは『みんなが意見出来る』ところ。
選挙では、投票権を持つ人全員が、それぞれ等しく1票を持っている。
一人ひとり『平等』に投票権が与えられているところ。
この事から「みんなの意見を聴いてもらえる」というのが民主主義の良いところと言えます。
でも本当にそうでしょうか。
政治に関心がある人、そうでない人、どちらも等しく1票。
選挙って『平等性』はありますが、一方で『公平性』が無い気がしてます。
平等と公平は違います。
例えば、小学生のかけっこについて。
平等とは、1年生から6年生までみんな等しく同時に50mを走ってゴールに向かうようなもの。
年齢にして高々6歳の差ですが、小学生の1年は大きく、当然フィジカル的に6年生が有利なんです。
一方の公平とは、1年生は20mを走る、2年生は30m、3年生は25m・・・6年生は50mといった感じ。
結果が拮抗するよう距離やスタート時間を調整するのが公平。
民主主義の選挙制度って『平等』なんです。
人口の割合を考えると、団塊の世代を中心とする年配者の母数が大きく、この年代の意見が通りやすい。
日本の人口は減少傾向にあり、新しい考え・正論を持つ若者がいくら頑張ったところで、母数の多い年配者を巻き込めなければ排除される。
若者に対する積極的な政治参加を促すキャンペーンもあまり無意をなさない。
母数に差があるので『出来レース』な感じ。
「年配を制する者が選挙を制する」という構造になっています。
これじゃあ、若者の関心が向かないのも当然。
こんな選挙システムだからこそ、政治家たちは年配者の意見ばかりに耳を傾ける。
選挙システムが平等を保つ限り、若者には選挙権があってないようなもの。
まさに『愚衆政治』と言える。
今の年配者って、選挙を『意見する場』として扱っており、意見することが『目的』になってる。
本来は「より良い社会を」という目的に対する『手段』の選挙であるはずが、年配者にとっての選挙は意見することが『目的』となってる。
是正しようと頑張っても、簡単に選挙制度は変えられない。
じゃあどうすれば良いか。
思考をシンプルに、気楽にすれば良い。
選挙へは行きたいと思えば行く。
ガーシーの暴露には興味ないけど、ガーシーが政治家になったら面白そう、だから選挙に行く。
#NHK にお金を払いたくない、だから #NHK党 を応援する。
そんな感じ。
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