No.248 「小野さん、このままだと死にますよ!」糖尿病克服?記録(5)眼鏡を作り、食生活を激変させた結果
(No.247の続きです)
血液検査の5日後、宮本先生に呼び出され、ヘモグロビンA1c値「16・2」血糖値「856」を叩き出したことを告げられ「小野さん、このままだと死にますよ。死亡レベル、最低でも入院レベルです」と警告された。インシュリン投与を促されるも、その時に測った血糖値が「250」だったので、何とか注射を免れたものの、楽観的というか、達観しているというか、そんな自分ではあったが、流石に「チトまずいかな」との心境にはなった。
連れ合いの由理くんに先立たれ、子供もいなく一人暮らしなのは宮本先生もご存知だ。「小野さん、もし何かあったら、躊躇せずに119番してください」との言葉をいただき医院をあとにした。専門家として宮本先生が、心の奥で、凄まじい数値を叩き出した僕の行く先を絶望視していたかどうかを、推し量ってみたが、その表情からは読み取れなかった。
数日前の喉の異常な渇きは無くなったものの、四階の自宅に上がる階段の足取りが、心なしか重くなっているような気がする。近視も遠視もなく1・5を誇った視力に異変が生じてきた。生徒たちの答えをチェックする際に、視点がぼやけてハッキリと見えなくなり、仕事に差し支える有様だった。
翌日すぐに池袋のメガネドラッグに電話をかけて相談だ。曰く「糖尿病の影響か、視力が急に落ちてきて仕事に支障をきたしています。女性ものですが、メガネのフレームは手元にあります」返答は、眼鏡ができるまでの間、貸出用の眼鏡はある。フレームは持っていけば、使用可能かどうか判断するとのことで、電話を切るや否やすぐに池袋へと急いだ。
細面にグレーの眼鏡をかけた係の方に、紙袋に入れてきた22本の眼鏡を次々に出すと「こんなにあるんですか!奥様、お洒落な方だったのですねー。明らかに女性用がほとんどですねー」と、手間を取らせる。亡くなってなお、深刻な状況を笑いに変えてくれる女性(ひと)である。
これなら男性でも大丈夫でしょうとお墨付きをもらった四本の中から、由理くんが生前掛けた姿の記憶に無い、白いテンプル(横の部分)にシルバーのリム(縁の部分)の一本を選び、何気に見ると横に「シャネル」のマークが入っている。僕のために残してくれたわけでもないだろうが、ちょっぴり目頭の熱くなる苦笑いを浮かべてしまう。
今まで使ったことがほとんど無かった食材で、自己流のサラダを作ってみた。ボールの中に、福島の姉から送ってもらった「サバ缶」を入れて細かくほぐす。レンジで温めた「タマネギ」、水で戻した「乾燥ワカメ」、「レタス」と「マカデミアナッツ」を加え、味付けはイタリア産オリーブオイル「ラウデミオ」のみ、たっぷりとかける。我ながら良い味に仕上がり、今日に至るまで毎日毎食食卓に並び続けている。
血糖値を下げるのに良いと言われるリンゴ酢も毎日飲み始めたし、夕食のお供に赤ワインが加わった。納豆も以前よりずっと食すようになった。
逆に、今まで定期的に食べていたハムやベーコンなどの加工肉やお漬物が食卓から消え、白米の消費量が三分の一程度になり、菓子パンやケーキは全く食べなくなって、日本茶が清涼飲料水に取って代わり、未開栓のカルピスが冷蔵庫内に収まったままである。
一週間に二度くらいは外で食べていたラーメンは、食生活を変えて以来、友人に付き合って食べた二杯のみである。あちこちと食べ歩いていたアフタヌーンティーやパティスリーとは縁遠くなった。
その後にひと月に一度の採血の結果の推移を示してみる。ヘモグロビンA1c値「16.2」から「11.6」「8.1」「7.5」「6.7」「6.4」「6.1」と移り変わった。血糖値「856」は、翌月が「90」となり以降「100」を下回っている。
「150」近くあった血圧が,高くても「120」程度となり、薬を飲むのをやめることができた。体重は4kgほど減って、二十歳代の体重に戻り、買ったばかりのスラックスのウエストを大分詰めてもらう羽目になってしまった。
新しく作ったシャネルの眼鏡だが、ひと月も経たずに合わなくなった。かけてみるとクラクラして、ものがぼんやりと見えてしまう。意外に似合っているような気もしていていささか残念だが、引き出しの奥に収まっている。由理くんも許してくれるだろう。
数字の羅列が続いた。血圧の薬はともかく、まだ薬を飲み続けていることを鑑みると、糖尿病「克服」記録とは言い難いだろうが、まあ短期間にここまで改善したのだ、良しとしよう。
食べ歩きは相変わらずしているし、そこまで禁欲的な食生活を送っているわけではないが、油断は禁物だとは認識している。
宮本医院の前に聳え立つこの立派な木はなんというのだろうか?一体いつまでこの木を見続けるのだろうか?そんなことを考えながら、いつものように診察室に入り、いつものように宮本先生の温かい笑顔に触れる。
「小野さん、やればできるじゃないですか〜。ここまで回復したとは驚きました」「宮本先生にお会いできて本当に感謝しています。遅くまで診察していらっしゃったので、先生にお会いできました。以前は自分の健康を過信していましたねー。ところで宮本先生は何処か悪いところはないのですか?『医者の不養生』って言葉もありますし」
「小野さん、そこ聞いてきますかー」
明るい笑い声が診察室に響いた。