No.139 グラスワイン2杯で酔ってしまう話
No.139 グラスワイン2杯で酔ってしまう話
20数年間、ここ板橋区の片隅で連れ合いの由理くんと共に酒屋商売を営んでいたし、酒造りをしていた家に生を受けたが、アルコールはまるで弱く、お猪口いっぱいで顔が赤くなる始末だ。父武も母ユウ子も、酒を嗜(たしな)むことは無かった。
「酒の席では自分の方が先に酔っ払ってしまい、女性を『酔わせて口説く』ことはできません。自分が『酔って倒れて母性本能をくすぐる』タイプです」アルコールに関しての自己紹介ネタの一つとして使っている。
酒屋商売をしていた時の話である。毎年、師走31日は一年で最も忙しい日だった。元日だけは店を閉めるが、年明けからの数日間は年始用のお客さんでそれなりに忙しいので、2日から店を開けることが多かった。
30数年ほど前になるか、この時も忙しい一年の最後の仕事を終え、22時を過ぎた遅い夕飯を由理くんと二人で済ませ、由理くんは「腐れ縁」的な友人のモコさんとお喋りを楽しむべく電話を入れた。
優雅な生活を送られているモコさんは、年末から家族で「軽井沢プリンスホテル」に滞在していて、お正月もそこで迎えると言う。笑いに包まれた電話でのお喋りを終え、モコさんに刺激された由理くんと僕は二人、翌日の1月1日に軽井沢に行ってみようとなった。「軽井沢プリンスホテル」の予約も取れ、酒屋商売は3日からにして一泊二日の「思い立ったが吉日」の突撃旅となった。
走る車も少ない東京の主要車線のドライブを楽しみ、関越自動車道も上信越自動車道も元日の朝に車を走らせる仲間は少なかった。軽井沢プリンスホテルまでの道中は支障なく快適だった。
ホテルのチェックインを済ませ、モコさんとタロー旦那さんの部屋を訪れる。小学4年生になっていた長女のジュンコちゃんと1年生の次女ヨシコちゃんは、感心にも冬休みの宿題に取り組んでいた。
元日のディナーは、ホテル内のフレンチレストランでモコさんタローさんご夫妻と由理くんと僕の4人で、贅沢をしようとなった。ジュンコちゃんとヨシコちゃんは、ハンバーグでもかじりながら部屋でゲームをしている方がいいと、我々を気遣ってくれてでもいるような答えだった。
かくして、元日の夜に外食をする生まれて初めての機会を、それも優雅に「軽井沢プリンスホテル」内のフレンチレストランでフルコース料理を楽しむ経験を持つことになった。急なお邪魔虫二人を受け入れてくれたモコさんタローさんご夫妻に感謝である。
ネクタイはしなかったが、一応ジャケットを着てドレスコードを何とか満たした僕と、グレーのジャケットにスカート姿の由理くんは、満席に近いレストランの奥の方に、素敵な二人の友人夫妻と共に、揺らぐ蝋燭(ろうそく)の光を映すテーブルを囲んで座った。
たっぷりと2時間近くはかかるであろうフルコースは、ワインの試飲から始まった。アルコールに弱いが、酒屋商売をしている僕に、試飲の栄誉をタローさんは譲ってくれた。蝶ネクタイのソムリエさんが、僕のグラスにワインをゆっくりと注ぐ。
酒屋商売をしているとは言っても、庶民のお客さん相手のお店である。ワインの産地とかの詳しい知識を持っているとは言い難かったが、美味いか不味いかくらいの判断はできる。素晴らしく美味しい白ワインであった。
「うん、美味しいです」ワインを口にしたほとんどの客から発せられるであろうありふれた言葉に、ソムリエさんはこれも優等生的な微笑みを浮かべ、軽くうなづき我々に背中を見せて、他のテーブル席へと向かった。
モコさんと由理くんはいつものように、関西弁で明るく会話を弾ませている。タローさんと僕は、ナイフとフォークを動かしながら当たり障りのない世間話に花を咲かせる。前菜の一皿が終わると、次の料理が運ばれてくる。タローさんも僕同様にお酒はそれほど召し上がらない。ワインが美味しかったのもあり、僕は珍しくワインをもう一杯注いでもらった。
メインディッシュの肉料理を食べ終わるまでに、僕はグラスワインを2杯飲んでいた。小さく切り分けられたチーズの盛り合わせがテーブルに運ばれてきて、最初の一切れを食べ終えた時、急に頭の片隅が揺れるような感触に襲われた。モコさんと由理くんの笑い声が遠くに聞こえるような気もした。
本能的に「まずいな」と思い、テーブルに座る3人に「ごめんなさい、ちょっと失礼します」と立ち上がり、レストランの出口に向かった。益々襲ってくる頭が揺れる感触に「こりゃ、まずいな〜」トイレが何処にあるかと考える余裕もなく、ただ歩っていた、と思う。今思い返すと、微かにふらついている自分の姿を、別の自分が見ていたような気がする。
どれほどの時間が経ったのだろうか、目が覚めたときは「ここは何処?」状態だった。ソファに座る由理くんを見とめたとき、自分がソファに寝かされていることを悟った。「しんくん、大丈夫かいな?」頭を押さえながら上半身を起こした記憶喪失状態の僕に、由理くんが言葉をかけてくれて説明も加えてくれた。
レストランの入り口あたりで、僕はふらふらと倒れ込んだそうだ。レストランの奥の方の席に座っていたモコさん、タローさん、由理くんの3人のところに出向いたレストランの責任者は、慌てる様子もなく淡々と「お連れさまが入り口のところで倒れられました」と告げ、3人はシラ〜としたそうだ。
レストランの従業員何人かの手を煩わし、僕はソファーに寝かせられていて、モコさんとタローさんは心配してくれたそうだが、由理くんは「飲めない酒などカッコつけて飲んで、しゃ〜ないやっちゃ。じきに目が覚めるやろ」と悠然と構えていて、美味しかったコース料理を思い返していた。僕が目覚めたのは、ソファの上に寝かせられてから30分ほど経ってからと言う。
グラスワインわずか2杯のみ、それも2時間もかけて飲んだ後の失神騒ぎ、情けないほどの酒の弱さ、アルコールへの反応であった。それでも「酒の弱さ」を自虐的に笑い話にしている。「倒れた日がカッコいいの、1月1日。倒れた場所が素敵なの、軽井沢プリンスホテル」から始めている。
それから2年後、同じようにグラスワイン2杯で危なくなったことがあった。軽井沢の話に続けて「危なくなった場所が、これまた素敵なの。青山のレストラン『KIHACHI・キハチ』で、友人と会食の時」と続ける。
やはり2時間近くかけてグラスワイン2杯で危なくなった。この時は「キハチ」のトイレに入り「まずいな〜」と思いつつ、5分ほど休んで事なきを得た。
この二回の経験から、ワインはグラス2杯が自分の限界だと学び、飲んでも一杯だけにしようと決心する。
ところがである。「キハチ」から20年ほど経ってから「二度あることは三度ある」のことわざ通りのことを迎える。これまたカッコのいい場所と状況なのである。2010年イタリア再訪の旅、古都フィレンツェでの一夜での話である。
・・・続く
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