見出し画像

No.072 チェリビダッケ / 幻の指揮者

No.072 チェリビダッケ・幻の指揮者

1993年4月、大学2年生になっていた。上智大学比較文化学部(現・国際教養学部)は、市ヶ谷の小さな校舎、四谷駅前の本校舎から徒歩約10分ほどのところにあった。日本の普通高校からの生徒の他に、帰国子女やインターナショナルスクール出身の生徒、海外の様々な国からの留学生など、まさに日本の中のmelting pot『人種の坩堝(るつぼ)」であった。一種、治外法権地帯の雰囲気があり、僕は大好きだった。

「しんやさーん、今晩、急なんだけど、コンサートあるんだ。行ける?由理さんも一緒に行くかな?」
僕に声をかけてきたのはセイラだった。返事をするのに、ちょっと首を後ろに倒さなければならなかった。セイラは僕より背が高い。羨ましい。本人は「わたし、背が高いの、コンプレックス〜」と言っていたが。

聞くと、池袋にある東京芸術劇場でクラシックのコンサートがあり、チケットが余っていると言う。「K音楽事務所の人が、空席を埋めたいんだって。わたし今日行けないし、クラシック音楽好きな子も案外いないし」セイラのお父さんは指揮者の小澤征爾さんで、僕も親しくさせて頂いていた。有り難く由理くんの分も含め2枚チケットを頂いた。チケット代金は、もちろんと言うか、ロハ(0円の意味)だった。

指揮者や楽団の話も演奏プログラムも、セイラは何も言わなかったし、僕も聞かなかった。席を埋めればいいのね、何の期待もなかった。

「セイラからチケットもらったよ」由理くんにご報告をすると「いい暇つぶしできたやん」。まあ、確かにそうですね。

東京芸術劇場は、家からも近いし、日常生活の延長のような感じだ。これが、赤坂にあるサントリーホールだったら、出かける気合いが少しは違っていただろう。お洒落さんの由理くんでさえ「こっちの服でいいか」と普段着に近い服をチョイスした。クライバーのコンサートに行った時と違い、テンションがまるで上がらず、東上線に乗り、池袋へと急いだ。

芸術劇場につき、まっすぐ会場に向かった。入り口で、おびただしい数の演奏会予定パンフレットが入ったビニール袋を渡されるのはいつもと変わらない。席を探すと、舞台正面、特等席と言って良かった。由理くんが言った「いい席やん、さすがセイラさんやね〜」由理くんは、セイラに一応「さん」をつけて呼んでいた。

うん?舞台中央指揮者の立ち位置に、アルファベットの「U」の文字を逆さにした形の物が、杭(くい)のように刺さっている。「あれ、なんだろうね?」「なんやろね〜?」

開始直前を知らせるベルが鳴る。空席が目立つ。照明が少し落とされ、オーケストラが入ってくる。外人さんの楽団員だ。今の今まで、日本のオーケストラと思っていた。程なく、大柄で白髪が綺麗な指揮者がー表現は悪いがーまさにヨタヨタと指揮台に向かった。大丈夫ですか?声をかけたくなる程だった。指揮台につくと、U字形の「杭」に体をあずけた。「杭」は演奏中に体を支えるものだった。

「これは期待できないな〜」こちらがそんな思いを持つなか、演奏が始まった。

約2時間後、驚きに包まれていた。この指揮者、ただ物じゃない、何者なのだ?由理くんと顔を見合わせた。「いやー、凄かったね!」「ほんまやね〜、良かったわ〜!」

帰りに初めてプログラムを見た。「セルジュ・チェリビダッケ指揮 / ミュンヘンフィルハーモニー管弦楽団」
ミュンヘンフィルだったのか。僕のクラシックの聴き方は偏っていたが、それでもミュンヘンフィルの名前は知っていた。

指揮者のチェリビダッケの名前は、まるで馴染みがなかった。

まだインターネットを始めていなかった。帰宅して「レコード芸術別冊・名曲名盤500ベスト・レコードはこれだ!!」をチェックした。チェリビダッケの名前は、まるで出てこない。

友人の永澤くんに電話を入れる。彼に聞けば、クラシックのことは大概分かる。

「永澤くん、チェリビダッケって指揮者知ってる?」
「オノさん!もしかして今日のコンサート行ったんですか!」
電話の向こうで興奮している声が聞こえる。

彼の話だ。身内の不幸で行けなかった。断腸の思いだ。チェリビダッケは、全くないに近いほど録音を残していない「幻の指揮者」として有名だと言う。フルトヴェングラー亡きあと、カラヤンとベルリンフィルの常任指揮者の座を争った指揮者だった。

「オノさん、チェリビダッケ知らなかったんですか?チケットどうやって手に入れたんですか?プログラムは何だったんですか?ブルックナーですか?確かS席一枚25000円ですよ!」
「うん、知らなかった。チケットはセイラからもらったよ、2枚。ただだったよ。プログラム、何だったかなあ?」

電話の向こうでため息が聞こえた。
「はあ〜、ネコに小判。ブタに真珠・・・。オノさん、相変わらず悪運が強いですよねえ」
「まあ、ネコでもブタでも好きに呼んでくれ。それより、何の知識もないままに聴いて、凄さを判断できるこちらの感性を褒めてくれ」

チェリビダッケは3年後の1996年に亡くなる。思いがけず「幻の指揮者」の凄い演奏を聴くことができた。感動もした。しかし、と言うか、何か違うような気がする。セイラには悪いが、チケットはもらわずに、ちゃんとお金を払えば良かったと思う。その方が、感動の質が違うのではないか、感動の質が高いのではないか。

カルロス・クライバーもチェリビダッケも凄かった。共に素晴らしいときであった。

こちらの心持ち、こちらの生活状態、こちらの年齢、短い人生で同じ所は瞬時ほどもない。全てのものは一期一会なのだ。感動もまた同じものではない。

飢えたる若い時期も素晴らしい瞬時なのだ。経済の裕福さの中にも「何らかの」飢えが必要な気がしている。

画像1

画像2


いいなと思ったら応援しよう!