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No.138 旅はトラブル / イタリア再訪ひとり旅2010(5)「擦り切れたタイヤ倶楽部」のじい様たち

No.138 旅はトラブル / イタリア再訪ひとり旅2010(5)「擦り切れたタイヤ倶楽部」のじい様たち

No.137の続きです)

マミの運転はなかなかのものだった。カーナビの助けも借りずに、カスティリョンチェッロの駅を出てから程なく車を左の細い道へとハンドルを切る。S字カーブの連続で緩やかな坂道を上がっていき、同じように両側に木々が茂る道を下っていくと、近景の木々に抱かれた遠景の海の切れ端が視界の上方で目に入った。

イタリア全土を包んでいる地中海の一部、トスカーナ地方に面するリグリア海だとマミが教えてくれた。S字カーブの坂道をいくつか曲がると、リグリア海は僕の右手側に大きく姿を表した。イタリアの海を見るのは初めてだった。南中に近い太陽の光を縦に受けて、穏やかな水面は反射光を全方向に少しずつ照度を変えて煌めき、僕もその光の恩恵の一部になる。

カスティリョンチェッロの街の入り口近くの駐車場に車を入れ、マミと共に街に入ると、思ったよりも沢山の人が、街の広くはない道の両側を歩いている。ほとんどの大人が半袖シャツに短パン、サンダルかスニーカーで、子どもたちの中には水着姿に浮き輪を持っている子もいる。

東洋人と思しき顔貌のものは、マミと僕以外には見当たらず、夏の保養地にシャツとスラックス姿の僕はちょっと浮いているかも知れなかったが、イタリア人の特性か、特段の関心を持った視線は感じなかった。

眼前に広がるリグリア海の湾の曲線を舞台にしたように、浜辺には鮮やかなブルーのビーチテントが客席を形作るように5列ほどにしつらえてある。砂浜はほんの少しの広さで、海に入る人の数も多くない。どうやらここでの主流の過ごし方は、テントの下で直射日光を避けてのんびりすることのようだ。

結構急な海岸への道を今度は登って街中に戻った。マミのお勧めのイタリアンレストランでは、満員の客の賑わいの中で美味しいペンネとラザーニアを中心としたランチを頂いた。家庭的な味わいで、味にも満足して店を出た。

マミについて街のメイン通りを進むと、3人の男性が歩道近くまで出されたプラスチック製の椅子に座っているのが見えた。そこは、土産物屋さんやレストランのようなドアを持たず、無防備に開け放たれた間口から壁一面に貼られた写真と、陽の光が小さく照らす中に座る2人の男性が見て取れた。

「しんやさん、ここが『擦り切れたタイヤ倶楽部』だよ」表に座る3人にマミがイタリア語で話しかける。その言葉に興味を示したのか、奥の二人も椅子からゆっくりと立ち上がり陽の光射すこちら側に合流した。

「マミ、通訳お願いね」興味を示したそぶりの5人の「擦り切れた」じい様たちに、マミが語りかけたイタリア語で僕が聞き取れたのは、先ほどマミが覚えたイタリアの名優「マルチェロ・マストロヤンニ」の名前と「Giappone Tokyo ジアポネ(日本)トーキョーだけだった。

その言葉を聞くや否や、じい様たちがなんやらのイタリア語を言いながら、僕を部屋の中に押し込めんばかりに導き入れる。壁一面にぎっしりと貼られた写真を前に、じい様たちは我先にと説明してくれる。

僕は一枚の写真を指差し「マルチェロ・マストロヤンニ、アニタ・エクバーグ、フェデリコ・フェリーニ、ドルチェ・ヴィータ(「甘い生活」の原題)」と人名3人と映画の題名をカタカナ風に、意識は英語っぽいイタリア語で羅列した。

そこからはマミの出番がなくなるほどだった。一人のじい様が若かりし頃のマルチェロ・マストロヤンニと彼の隣に歩く若者の写真を指差し、続けて指を自分の胸に当てる。「わかる、わかる。写真のこの若者はオレだぞってことですよね」そのあとじい様は「ローマ」と言う。「ふむ、ローマで撮った写真ってことね。もしかしたら『甘い生活』の撮影現場かな」僕が笑って、英語で I see と相槌を打つと、じい様は大袈裟にハグしてきた。

あとは、芋づる式に思い浮かぶ固有名詞のオンパレードでの会話となった。ここから出てくる固有名詞は、時にマミの助けを借りながらも、カタカナイタリア語でほぼ通じた。

映画「自転車泥棒」の写真があったので、ヴィットリア・デ・シーカ監督、そして女優ソフィア・ローレンから「昨日・今日・明日」。戦後イタリアの「ネオリアリズモ運動」から、ミケランジェロ・アントニオーニ監督。ルキノ・ヴィスコンティ監督から「ベニスに死す」。そして「山猫」女優クラウディア・カルディナーレ。

「にがい米」ってどう言うんだろう?「マミ、コメってイタリア語でなんて言うの?それに『苦い』に近いイタリア語言ってみて」。マミがイタリア語で「コメ」「苦い」の語を並べたのだろう。じい様たちがうなづきながら口を揃えて「シルヴァーナ・マンガーノ」と言うのを聞いて、戦後イタリア映画の代表作の一本に主演した女優の名前を通して、共通項を持てた喜びを感じた。

ピエトロ・ジェルミ監督マルチェロ・マストロヤンニ主演の「イタリア式離婚協奏曲」に出演していた女優ステファニア・サンドレッリは僕がスクリーンで恋した初めての女優だ。ここからベルナルド・ベルトリッチ監督の「暗殺の森」が出て、思いつくままにピエロ・パオロ・パゾリーニ監督「テオレマ」「エディポ・レ アポロンの地獄」映画の題名、俳優名を出すたびに、じい様たちは興奮して、負けじとジアポネ、クロサワ、ミゾグチ、オヅ、ミフネと日本の監督黒澤明、溝口健二、小津安二郎、そして俳優三船敏郎の名前を挙げてくる。

そうだ、映画音楽の巨匠ニーノ・ロータやエンニオ・モリコーネも言わなきゃ。小学生中学生の時に夢中になったイタリア式西部劇マカロニ・ウェスタン(本当はスパゲティ・ウェスタンと言う)の事も話していないぞ。アフリカの国アルジェリアのフランスからの独立を描いた映画「アルジェの戦い」は意外なことに、イタリア映画なのだ、これも知っているぞ、じい様たちはもちろん知っていそうだな。

イタリア語は分からずとも、知っている名前が途切れるまで、目を輝かせて話すこの愛すべき「擦り切れていない」イタリアのじい様たちと時間を共有したかった。

・・・続く

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       マルチェロ・マストロヤンニの名前が付けられた通り

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        「初恋の女優・ステファニア・サンドレッリ」

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