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No.136 旅はトラブル / イタリア再訪ひとり旅2010(3)「擦り切れた」服の「人生の優等生」

No.136 旅はトラブル / イタリア再訪ひとり旅2010(3)「擦り切れた」服の「人生の優等生」

No.135の続きです)

ローマ発ピサ行きの電車が16番線からまもなく発車する。10歳程だろうか、車輪の具合が悪い僕のトラベルケースを運んでくれているこの目のクリッとした愛らしい少年は、他の場所に逃げる様子はなく、一生懸命16番線に向かっている。

自分で運べないわけではないが、せっかくの親切は受けておこうと思い、その小さな背中を頼もしく見守りながら、彼の後ろに続いて歩いた。もしかすると「小さな親切運動」とかの校外授業がローマ駅内で行われているのだろうか、彼が自慢げに東洋人の男性を手伝った話を、クラスの先生と同級生の前で話している姿を想像してみたりした。

16番線に止まる電車の乗り口に着いた。狭い階段を数段上がる車両だったので、小さな愛くるしいこの子に「Thank you. I can do it myself. ありがとう、自分でできるよ」と言うと、英語が通じなかったのか、その小さい体を後ろに反らしトラベルケースをグイとあげた。おいおい大丈夫かい、見る間に電車の中に運び入れてくれた。こりゃ、クラスで先生に、同級生に拍手喝采を浴びるな。

座る席を確認し、この優等生くんにあらためて「Thank you very much for your help,」と告げて、自分でトラベルケースを網棚の上にあげた。見ると、優等生くんがまだいる。うん、電車から降りないの?すると、この目のクリッとした愛らしい優等生くん、僕を上目遣いに見て、一言しっかりと、そしてハッキリと「マネー」と言った。

もはや、彼は目がクリッとしてはいるが、愛らしくは見えなくなった。学校の教室での優等生ではないが、逞しく生きていると言う意味では、彼は間違いなく「優等生」だろう。事情を知るイタリア人や旅行者たちに、彼は今日も何度か追い払われたに違いない。彼が発した「マネー」と言う世界共通語は、学校に行けずに必死に生きざるを得ない子どもが多数いる現実を僕に突き付け、言葉の上だけでそれを知る僕の知識の脆弱さを暴いた。

その考えに至り、今まで見えなかった彼の服装が、初めて見えてきた。チェック柄のシャツは「擦り切れて」薄汚れていた。また、どこかで聞いた「ヨーロッパではジプシーに気を付けろ」との心の片隅で眠っていた言葉が起きてきて、目の前の彼はジプシーの子なのかもしれないよと告げてきた。

ポケットを探ると、コインが4枚ほど入っていた。日本円に換算していくらになるかは分からなかったが、そのうちの一番大きなコインを、黙って渡した。おそらく、周りの乗客は見ていただろうが、僕には他人の視線を感じる余裕も無くなっていた。

彼はそのコインを見て「モア」と言った。これも世界共通語かな。ああ、まだコインがあるのを見ていたな、確かに小銭だったなと思い、残りのコイン3枚も今度は「Here. どうぞ」の言葉と共に彼に手渡した。もうすぐ電車は出発だな、やれやれ。

と、彼は明らかに不服そうな顔をして、荷物を運ぶ定価があたかもあるかのように「Ten」と告げてきた。1ユーロって日本円でいくらになるんだ?この時、大雑把に1ユーロ100円と覚えていたので、10ユーロは1000円くらいか、ふっかけてきたなあ。この子が憎らしくなるより、タフな交渉相手に見えてちょっぴり楽しくなってきた。

僕は軽く右手を振り、苦笑いを浮かべて「そりゃないよ」との表情をした。彼は力強く「ノー」と言い、微動だにしない。少し周りの目が気になり始め、自分が悪いことをしているような気分にさせられてきた。もうすぐ電車は出発するはずだが、彼のてこでも動きそうにない態度に僕が根負けした。

日本円に換算すれば1000円か、こうして生活している彼に寄付するつもりとの思いもあった。10ユーロ札を一枚渡すと、彼はニコリともせずに僕に背中を見せ、電車を堂々と降りていった。食い逃げする客を捕まえて代金を受け取り、意気揚々と去る店の主人を見るような、妙な気分にとらわれた。30秒もしないうちに、電車はゴトンと動き、静かにローマ駅を離れていった。

見事なものだった。僕の人生の交渉事で、これほどの完敗は思いつかなかった。「1000円か、もっと払ってもいい価値はあったな。イタリアはローマの駅で、逞しく生きる子どもに『人生』を教えられるとは思いもよらなかったな。旅はトラブル、いやこれはトラブルなのかな?うん、トラブルだな、だって楽しかったものな」

僕のタフネゴシエーターであり、僕を打ち負かした、あの目のクリッとした逞しく生きていた「人生の優等生」は、今どうしているのだろう?幸せに暮らしているのだろうか?

幸せであって欲しい。

・・・続く

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