No.247 「小野さん、このままだと死にますよ!」糖尿病克服?記録(4)かつての生活習慣
(No.246の続きです)
勤務医として昼間に働き、夜には自宅で診療をする宮本内科医先生に出会って一週間後の月曜日21時、教室にいた大学受験生たちを残し、血液検査の結果を聞きに、ナビを入れてもなお迷いそうになる小道の突き当たり、この日も「宮本医院」の電飾看板が明々と灯っていた。
自動ドアのところで、帰り際の男性と出くわした。軽く挨拶を交わし、待合室に入ると、先日と同様患者の姿はなく、すぐに診察室に入った。
「こんばんは、小野さん」にこやかな笑顔と共に、宮本先生は声をかけてくれた。前週と違っていたのは、膝の上に置いた右手に、血液検査の結果であろう書類が握られていることだった。
「色々と感心できない数値が出ていますね。足の浮腫みも診てみましょう」宮本先生が、僕の左足脛の当たりを押すと、凹みができて戻らない。「塩分の摂りすぎもありますねえ」赤の印刷字だらけの答案用紙を見せられ、説明を受けることとなった。曰く「血糖値もだいぶ高いのですが、腎臓の機能や、ヘモグロビン…」
この時すでに、以前通っていた病院で処方された、高血圧を抑える薬ともう一つの薬を数年に亘り飲んでいたのだが、何に対する薬か分かっていなかった。そのくらい、健康に無頓着だった。
赤点の用紙と先生の話から、なるほど数値的に問題があるのだなとは理解したが、コレステロールなんたら、ヘモグロビンなんやらを理解しようともしない劣等生患者だったと言わざるをえない。高血圧も、血糖値も「はい、頂いた薬を飲めば治っていくんですよね」と、鼻風邪の延長くらいに判断していた。
別の時の話になる。マジック友人で埼玉県で内科医をしている菊池さんに「糖尿病気味なんです」と告げると、薬を飲んでいるのかと聞かれ「何年か前から飲んでいます」との僕の返答に「小野さん、薬飲んでいれば、それは『糖尿病気味』じゃなくて『糖尿病』です」と菊池さんに諭されてしまった。後日、頼んだ訳ではないのに、菊池さんから何冊もの糖尿病に関する小冊子が郵送されてきた時には、嬉しかったが「いい人だよなあ〜」と苦笑いして、読み流してしまったことを白状する。
閑話休題。甘いものや塩辛いものを控えることや、軽い運動を始めること、すなわち生活習慣を改めるようにと宮本先生に言われたのだが、生徒たちに教えている諺「右の耳から左の耳」状態であった。
友人たちとの会食を愛し、週に一度は極上のラーメンを汁まで食する、食卓に並ぶお漬物は直ぐになくなる、魚沼産コシヒカリの消費量は半端なく、行列して購入した美味しい二斤の食パンが冷凍庫に収まっている時は短い、有名パティスリーのゴールド会員でもあった。住まいの四階と仕事場の一階とを結ぶ階段の昇り降りで、一日の運動は充分だろうと断を下した。
二週間に一度、夜の九時過ぎに宮本医院に通って診察を受けて薬をもらい、月に一度の血液検査を受け、その度毎に同じ注意を受けて、検査の結果に憂いもせず、自分ではそうは思わないが、エピキュリアン・快楽主義者との烙印を押されるやもしれない日々を送っていた。
そして、ひと月からふた月前の血糖値が反映されるというヘモグロビンA1c値が「9.5」を示す事態になった。
以前の記事の中で触れた翌月の採血直前からの様子を、再び書き連ねてみよう。
穏やかな日の昼間、食後でも無いのに、異常に喉が渇いてきた。かつて一度も経験したことの無い渇き、「カラカラ」との擬態語が降りてきた。
冷蔵庫に常備してあったカルピスを取り出し、いつものように濃いめに作って口にしても渇きは収まらず、続けて三ツ矢サイダーを飲むと、イヤ美味しいこと。しかし、カラカラはまるで治まらず、新たにキリンレモン500ml一本が瞬く間に腹の中に収まった。コロナ発症を疑い、原因を探るべく、ネット検索サーフィンを延々とすることになった。
自分なりの結論は「コロナではなく、糖尿病の自覚症状のひとつの疑いがある。自分のヘモグロビン値は実にマズイ状況にある」だった。
そして自覚症状が出たこの日の夜が、月に一度の採血の日だった。前月のヘモグロビンA1c値「9.5」が、どうなっているかが、宮本先生の最大の関心事だったようだ。
血液検査の5日後、宮本先生の奥様より電話があり「今晩来れますか?」との知らせだった。僕は特に気にもせず、仕事を早めに切り上げ、夜の9時過ぎに、車で5分ほどの宮本医院へと急いだ。
診察室に入ると、いつにも増して真剣な表情の宮本先生の前のスツール椅子に腰を下ろした。先生は開口一番「小野さん、このままだと死にますよ!まずいです」と、告げられた。後ろには誰がいるわけでもなかった。僕に向けられた言葉なのは明らかだった。
「わたし40年近く医者をしていますが、電話で呼び出したのはこれまで、たった二人です。小野さんが三人目です。ヘモグロビンA1c値が『16』超えるなんて見たことがありません。血糖値も856です。ここままだと死にますよ。死亡レベル、最低でも入院レベルです」
この数値が「トンデモナイ」ものであることは、今では分かるが、この時は意味を持たない他人事の数字に近かった。おちゃらけたつもりも無く、宮本先生の言葉に答えた。
「宮内先生、でも、こうして歩いてここにきていますよ」よく言えば楽観的な響きもあると思うのだが、宮本先生の逆鱗にいささか触れたようである。
「小野さん、ちゃんと聞きなさい!ここにインシュリン準備してあります。医者の立場として、すぐに血糖値を測ります!血糖値が300超えていたら、すぐに打ちます!」
「ええ〜、打たなきゃダメですか〜。イヤだなあ。インシュリンって一度打つと、ずっとお世話になるんじゃないんですか。先生、ともかく血糖値測ってみませんか」
「ホントにもう〜、この人は〜!」
掌サイズの大きさで先端に針の付いた器具、血糖値測定器とでも言うのか、宮本先生は、器具に付いている針を僕の左手の親指に押し当てた。チクリとして、器具にデジタル数字が表示された。数字は「血糖値250」かなりまずい値と言われたものの、宮本先生との約束値「300」を下回り、インシュリン投与は免れた。
以前書いた記事の一部を再掲載したところで、記事No.247をしめる。次に書く予定の記事No.248では、具体的な取り組みと、現在の状況と数値などに触れ、友人の学くんのアドバイスに基づいたタイトル記事「小野さん、このままだと死にますよ!糖尿病克服?記録」を終了するつもりだ。
・・・続く