0歳の君を、私はどうやって独裁者にするのだろう
ようやく一歳になったばかりの、私の大事な我が子マメ氏へ。
今日は君と、君のお父さんのトーフさんと一緒に、初めて三人で投票所に行けてよかったです。
これまではトーフさんと二人で行っていたけど、これからは三人で行くことが多くなるのかな、と思うと不思議な気持ち。
今日の君はベビーカーの上で、きょとんと周りを眺めているばかりだったけれど、きっとそのうち退屈して不満がったり、みんなの動きに興味を持ったりし始めるんだろうね。
「ここって何?」「みんな何をしているの?」
もっと大きくなった君にそう聞かれたら、私もトーフさんもいくらでも解説すると思う。私はライターとして選挙関係のライティングをやっていた時期があるし、トーフさんは政治学がご専門です。だから簡単なことはお母さんが、難しいことはお父さんが教えられるでしょう。
ただ、私たち二人とも、聞かれても答えに窮するとわかっている質問がひとつあります。
それは「政治って何なの?」という問い。
この問いについては、お母さんもずっと考えています。選挙の本を書いていたときにも、選挙関係の仕事をしなくなった後にも、結婚してトーフさんと日夜政治トークをするようになってからも、君を産んで、君がこの先生きていく社会のことをこれまでと違う形で(かなり激しく)心配するようになってからも。
とっかかりがないわけではありません。教科書的な説明ならいくらでもできます。
手始めにGoogleで検索してみると、こんな解説がサクッと出ました。
なるほど、たしかにそうなんだろうと思います。君が今後学校で習うであろう民主主義とか、三権分立とか、衆議院とかそういった概念も、すべてこの解説文と関連づけることができます。
一方で、こういう文章だけでは全然政治のことを理解しきれないんだな、と痛感する光景や事象や応酬といったものが、世の中を見ていると山ほどあります。あ、世の中というのはけっして「SNS」のことではありませんよ。
なんであっちの政治家はあんなことを言い、こっちの政治家はこんなことを言っているのだろう?
なんで国会では、みんな眠そうな顔で退屈なやり取りを繰り返しているのだろう?
なんで国が貧しくなっていっているのだろう?
……そういったあらゆることに直面したとき、三権分立の意味を知っているだけでは、衆議院解散の仕組みを知っているだけでは、なかなか自分の中で考えを深めることができません。
いや、正確に言うと考えを突き詰めること自体はできるのだけれど、その結果たどりついた考えが、この国を実際に動かしている手続きや慣習と大きくずれ、現実離れした主張にしかならない、なんてこともあるわけです。ある属性の人たちを排除すればこの国は平和になるはず、とか、いっせーので全員が平和主義者になれば万事解決、とかね
もちろん、現実離れした主張をする自由も人間にはあります。
ただ私は、無数の他者(生きている他者、死んだ他者)と自分が一緒に作り上げているこの社会のことを、自分の手持ちのカードだけを根拠に考え続けるのは少々危険なことだとも思います。
人間の考えが、最終的にはどれもただの勝手な思い込みの延長なんだとしても、私は政治について少しずつでも学んでいきたいし、蓄積したいのです。
だから、君が同じようにそこに興味を持つ時が来たら(来ないかもしれないけれど)、私が探ってきたことについては話してあげたい。
君が不思議に思うことは私が不思議に思うこととは違うだろうから、君の視点についても教えてもらいたいな。
ところで、君を産んだのは去年の八月でした。
大学病院の個室で甲子園の中継を見ながら、私は生まれたての君を抱いていました。ちょっと難産だったから、縫った股が痛かった。
そのとき驚いたんです。
「そうか、世界中の今生きている人、そして今まで生まれてから死んできた人たちの全員が、必ずこういう状態を経ているんだ」
そのことが生まれて初めて、全身が痺れるほど強くわかったから。
いや、理屈ではそれまでもわかっていたんですよ。でもこのときの驚きは、理屈ではありませんでした(別にそれは、必ずしも出産を経ないと得られないものでもないと思う)。
そしてもっと驚きながら思いました。
「岸田首相も、トランプも、プーチンも、習近平も、みーんなほんの数十年前には”これ”だったんだ!!」
これはどうも、赤ん坊に触れた人がわりと思うことらしいです。
一度赤ちゃんと密接に関わると(特にその食事や排泄の世話が日常になるレベルで関わると)、あらゆる人間に、「赤ちゃんだった頃」の名残を見出す能力が身についてしまうんですね。
人類は皆、一人残らず「赤ちゃん」だったことがある。
君にわかるかな。
これってすごいことだと思うんです。
無力で無害で移動できなくて、体質や外形になんらか特徴があったとしてもなかったとしても、外部刺激に対してなんらか小さな反応をするだけという点では変わらない。みんながこれだったなんて。
その揺るぎない事実に圧倒されながら、私はよく考えました。
君を、私はどうやって独裁者にするのだろう。
もちろん、そうしたいわけでは全然なくて。
こんな小さくかよわい生き物が、数十年後になぜか国家を揺るがす人物になる可能性があるのが不思議だと思ったんです。
もちろん、私が古代ギリシャの皇帝みたいな立場だったら、あるいは平安時代の天皇だったら、赤ん坊の君に大きな権力を持たせてインスタントに”独裁者”にしたてることももしかしたら可能なのかもしれないけれど、今はそういう時代ではないものね。
あるいは君が大きくなる頃には、独裁者やそれに近しい”暴君”的な存在を生み出さないための、成熟した政治プロセスが生まれているのだろうか。うーん、直感的には、まだまだ難しい気がするな。
だから、まだ独裁者になっていない君と、私はなるべく政治の話もしていきたいと思います。
それは、楽しいことではないかもしれません。もしかしたら君と私は完全に違う政治信条に分かれていくかもしれないし(私が自分の親とそうなったように)、あまりに政治オタクな両親にうんざりして、むしろ政治が大嫌いな大人になっていくかもしれない。
そんな、今考えても仕方がない可能性にちょっと怯えたり卑しい期待をもったりすることも、私にとっての「政治を考える」の一部になってしまいました。家庭の構成員が増えるってそういうことなんだ。
明日は、今日行った投票の結果がわかる日です。
お父さんは選挙特番を見るのが好きだから、また家族三人で一緒に見ましょう。シナぷしゅの方を見たいかもしれないけど、投開票日だけはちょっとだけ譲ってね。
マメ氏のお母さんより。