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「クリエイティビティ」は「クリエイティブ業界」のものではない
サブスク動画サイトを、ただ延々とブラウジングしてしまうことがよくある。何かを観たい。でも観たいものが出てこない。多少興味の惹かれる作品は出てくるからリストに入れる。でもその場で観ようとはしない。そのまま10分、15分。
お前は一体何を観たくてこんなにサイトの中をぐるぐる回っているんだ、と何度も自分に訊いた。答えはいつもうやむやだった。元気が出るもの。疲れがとれて明日が楽しみになる作品。ただ、別に笑いたいわけでもないし、感動泣きしたいわけでもないし、イケメンが見たいわけでも、憧れの街を見たいわけでもない。でも何かを観たい気持ちはある。そうこうしているうちに疲れてくる。そして仕方なくクラシック音楽のコンサート動画か、「シャル・ウィ・Dance?(もちろん日本版の方)」を流してぼんやり眺めていたりするのだ。
何十回目かのそれの時に、ようやく思い当たった。私は人間のクリエイティビティ、創造性が感じられる物語が観たいんだよなあと。
ここで言う「クリエイティビティが感じられる物語」とは、まず監督や制作チームのそれのことではない。もちろん制作物としてのクリエイティビティは感じたいし、その質の高さに痺れることもあるけれど、それ自体を求めているかといったら違う。そしてこっちがより重要なのだが、「クリエイターや、クリエイティブ業種・業界の物語」を観たいという意味でもない。
そう、クリエイティビティという言葉には、日本だとどうしても「クリエイターが発揮する能力」という意味がついて回る。もっと言うと、広告やマーケティングなどのいわゆる「ビジネス」な領域の色がより強い。
実際、今Google検索して上位に出てきたのは、新卒採用を目指す学生向けにクリエイティビティの汎用性や有用性を解く記事、博報堂のクリエイティビティのすごさを解説する記事、ビジネスの世界でクリエイティビティを高めるノウハウについての記事である。あとは子どもの能力開発についてのコラムとか(どうでもいいけど、クリエイティビティってタイピングしづらい文字列だし画面に連続で並んでいると変な感じがしてくる)。
これを「創造性」と日本語にしてもほぼ同じで、上位に出てくるのはビジネスパーソン向けに「創造性を発揮しよう」と促す情報が多い。もちろんWEB検索の結果が全てではないが、「通りが良い」文脈がこの方向であることは事実だろう。
私も人と話していて、相手がクリエイティビティのことを、特殊な訓練や生得的で大きな恩恵がないと持てない能力だと思っているのだな、と感じることは頻繁にある。そこには、クリエイティビティがあると何か特別な価値あるものを作ることができるし、そのスキルの”レベル”によっては社会的地位や名声を得ることもできる、という前提がある。つまりクリエイティビティ、創造性は、「持っていると、ビジネスパーソンとして周りに差をつけられる能力」として語られがちなのだ。特に今の労働市場では。
まあ、わからなくはない。博報堂やNetflixにはクリエイティビティの高い人が、つまり独自のアイデアを次々に生み出して、軽やかに実現していく人がたくさんいるのだろう。あとはそりゃもちろん、宮崎駿や米津玄師のクリエイティビティには圧倒されるしかない。
しかし、日々私が触れたいと望むクリエイティビティは、「ビジネスパーソン用スキルセット」のそれではないし、制作物が国内外に認められているような、ハイレベルなクリエイターの能力のことだけでもないのだ。
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