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28年ぶりにおいついた
生臭い話で恐縮だけど、子どもを保育園に入れて以降、むくむくとお金の不安が増してきた。
入れる前は「保育園に入れられなかったらどうしよう」とばかり思っていたが、入れたら入れたでそろばんをはじきながら、いやマネーフォワードの画面をタップしながら「ウッ保育料……今後の学費貯金……ウウッ……」と頭や胸を押さえて脂汗をかくことしばしばである。
もちろんしのごのいわずに働けばいいのだが、保育園に通わせて二週目ですぐさまウイルスにやられ、子を何日も休ませたり自分が鼻水を垂らしたりしていると「えっ、これが続く中で働くってほんと?」とやはり強烈な不安が湧き上がったりする。自分の経済力が子どもの環境に直結するというのは、やはり経験してみないとわからないプレッシャーだった。
しかし、この状況になって初めて想像できるようになったことがある。
ほかでもない、私の母の苦労である。
私の家は母子家庭だった。父は私が9歳のときにくも膜下溢血で死んでいる。きょうだいは私の下に二人。父が死んだとき、一番下の弟はまだ3歳になったばかりだった。
長女の私を産んで以来ずっと専業主婦だった母は、このタイミングでいきなり三人の子を抱えるシングルマザーになったのである。
残念なことに、死んだ父はほぼ何も残さなかった。家をはじめ資産価値のあるようなものは何もなかったし、入院やら葬式やら、人の死亡をめぐるさまざまな雑事で我が家の貯蓄も尽きかけた。生命保険もほとんどなかった。ついでに、援助してくれるような親類もいなかった。見事なまでにないない尽くしである。
もちろん、遺族年金だとか児童扶養手当だとか、その手のものは支給されていたと思う。しかしそれだけで、子ども三人のいる生活すべてをまかなうのはまったくもって無理だ。
当時の母は36歳。いまの私とひとつしか変わらない。
まだ90年代で、今ほど社会全体がジリ貧な雰囲気ではなかったとはいえ、ほとんど身ひとつで幼い子ども三人を育てることになった母の心労を想像すると……。
いやー、だいぶしんどい。考えるだけで腹の中がスーッとしてくる。
当時も子どもなりに、家が大変な状況なのはわかっていた。母が私にはわりとなんでも説明してくれたので、「お金がない」という状況の具体的な内訳もそこそこ知っていたと思う。
でも、「子どもを守り育てなければならない側の、経済に対する不安」はわからなかった。20数年経って、ようやく想像が追いついた。
たとえば今、私の夫が死んで、一人で子どもを育てなければならなくなったらどうだろう?
まあ、パニックになると思う。
悲しい気持ちにじっくり浸る間もなくどんどん子どもは成長していく。助けてくれる人がいないのであれば、自分の傷を塞ぎきる前に走り出すほかない。しんどいにきまっている。
結局、母は会社員とライターをかけもちしながら、何の援助もないまま我々三人を育てあげた。すごいことである。
何が母を頑張らせたのだろう?
想像するしかないけれど、でも自分の子どもを見ているとわかる気もしてくる。子どもを育てなければならない、その先の人生に責任を持たなければならない立場自体は同じだから。
親と子は違う人間だ。違う人生を違う人格で、違う時代に送るものだ。だから私の体験と母の体験は同じではない。同じであろうとする必要も、同じでないことを悔いる必要もまったくない。わかるよ、と思ってもそれは本当は全然見当違いかもしれない。
それでも子育てをしていると、「これと同じ状況に、親も立ったことがあるのだな」と思う瞬間はよくある。これはなんというか、不思議な感覚だ。親を好きとか嫌いとかそういうこととは関係なく、子どもへの気持ちが親への感謝や許しと溶け合って、不思議な広がりを持つのだ。
そしてその自分をはみ出した大きな感覚が、目先の不安をなぜか消化してくれることもある。
だからきっと、そういう感覚に支えられる機会はこれからも多いのではないかと思う。
大変だったよな、母は。今の私なんかよりもずっと。でも9歳のときよりずっと想像できるようになったよ。
だから、がんばろう。
何が「だから」なのかわからないけど。
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