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本が呼ぶ

 悲しい夢を見て起きた。カモミールティを入れて、昨日買った黄色いパン(卵黄を多く入れているらしい)にはちみつをつけて食べる。
 家のことをすませたあと、近所にできた新しい喫茶店に籠もって、昼食を挟んでマンガのプロットづくり。ポメラを使って一気に書いていった。後半、書きながら少し泣く。まだネームには入れない。合計一週間くらいでなんとか仕上げたいものだけど。
 プロットがだいたい仕上がるとだいぶ働いた気になり(実際は一円も稼げていない)、街をぶらつく。しかし駅前を歩き始めたところでハッと思い出したのが、昨日の夜起きた突然の「福永武彦の小説を読まなければ発作」。ただちに角を曲がり、図書館へ走る。

 「本に呼ばれる」ことがよくある。「あの作家の本をなんでもいいから大量にチラ見したい」と思うときもあれば、明確に「あの小説のあのシーンをもう一度読まないと」ということもある。たまたま見かけたSNSの感想コメントにビビッときて、なんとしてでもその本を読まねばと興奮することもある。こういうのは、全て何か理由があって起きていることのような気がする。私の方で「お客さまの中にお医者様はいませんか」的なことをわめいていて、本の方が「それは俺だよ」と答えてくれているのかもしれない。なので、この感覚が起きたら、それが夜中でもないかぎりはなるべく優先して書店か図書館に走る。こう書くと完全に性欲の発散だが、実際、読書で放出されるのはドーパミンだからそれに近いっちゃ近いに違いない。昨日の相手はブローティガンで、三日前はブラッドベリだった。だいたい毎日の読書の半分はそういう風に行われる。

 で、今回は福永武彦。そんな人知らない、という人のために書いておくと、文学者である。特ヲタにとっては、中村真一郎・堀田善衛といっしょに、映画『モスラ』の原作を書いた人だという点でも重要な人だ。福永武彦の息子が小説家・翻訳家の池澤夏樹で、その娘が声優の池澤春菜である。
 全集を六巻、机に積み上げてパラパラめくり、気になった部分だけ読むというやり方だったが、読みに行ってよかったと思った。小説自体というよりも、小説について語っている文章の中に、今考えていることについてのヒントがあった。「混沌としたコスモス」の中の秩序について私も考えないと。
 小説は「塔」がよかった。この時代にこんな小説を書いてしまう福永武彦はパンクである。『愛の試み』もチラっと読んだのだが、異性愛規範が強すぎて(仕方がないんだけど。クリスチャンだし)苦しくなったので途中でやめた。
 夜は、国保を払いにいくついでにやよい軒で夕飯を食べた。後悔した。やよい軒でサバの味噌煮定食以外のものを食べると大体後悔する。たぶん油が合わないのだと思う。やよい軒じゃなくて大戸屋があったらいいのだが、大戸屋も(あとスタバも)たぶんうちの近所には永劫できないだろう。

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