見出し画像

okimochi

 これは本当にまずいことだ。大衆の狂乱に私の街は覆われてしまった。こんなやり方がまかり通れば間違いなくこの先に待つのは、混乱のみ。私は、一種の危機感から、記憶をここに留めよう。いつか誰かにとって防衛術として機能するかもしれない。一県民として目に映ったものを想起することにしよう、この私がまだ素面であるうちに……。

 今回は本当に異例づくしで、最後の最後まで投票先を悩んだ。普段の私のツイートやnote記事を知っている方なら、おおよそ私の思想傾向は予想がつこう。支持する政党はこれだ、と言ってしまえば手っ取り早いが、自分自身に対する懐疑が常にあり、将来にわたって、自らの態度を硬直させることを何よりも恐れるので、敢えて明言はしない。一つ、表明しておくことがあるとすれば、先月の国政選挙の直後に、ある新聞を一紙、契約した。

 さて今回の知事選は、事実関係はさておき前職のパワハラ疑惑に端を発する。正確な時期は覚えていないが、人命が断たれた事件とその後の顛末はテレビのニュースで度々目にし、「なんと不名誉な形で、我が県がニュースに取り沙汰されていることか! パワハラ? 許してはおけない!」と率直には、このようなことを思った記憶がある。当然不信任決議のニュースも、「それでいい」と思って見ていた。

 そして今月の初め頃。衆院選の熱も覚めやまぬうちに、我が家には広報と選挙管理委員会からの例の封筒が届いた。先の国政選挙では、なかなかこの案内が届かなかったものだから、「やけに早いな」と思った。そうそう、この頃、一つ違和感があったのを思い出した。選挙期間になると現れるあのボードである。衆院選の間、まだ真っ白の知事選のボードがあったが、衆院選のボードが取り外されるとほぼ同時に、メインの白い綺麗なボードに加えて、安っぽいベニヤ板か何かでできたボードが2枚増えているではないか。これを見た時、私は前の東京都知事選のカオスっぷりを思い出した。訳のわからない幾多もの候補、コスプレか何かのような出立のポスター、Twitterでいくつもそのようなものを見たぞ、と。そして1週間ほど経ったが、一向にボードは埋まらない。家の近所はたったの4枚。(最大で30枚近く貼れそうなのに、たったの4枚!)最寄り駅、通勤ルートなどの比較的人通りが多いところでも、プラス1枚。何か異様なものを感じつつも、未だ気になっていたのは、国政の行方(つまり、次期総理はどうなるのか)であり、興味のベクトルはしばらく県政には向かなかった。

 そして、先週末、ようやく真面目に投票先の吟味を始めた。私はいつも、偏りの少ない媒体でかつ、候補者が一覧で見ることができる情報から手を付ける。なるべくフラットな目で、投票先を選びたいからだ。衆院選の時は、経済系の新聞で政党ごとの政策比較が出ていたから、そこから吟味を始めたが、今回は地方の一選挙のため、全国紙でそのようにでかでかと記事が割かれるはずもなく、公報から見始めた。候補者は7名。政党のバックが明記されているのは1名。職場の労組が支持を表明していた人が1名。前職。前職含め政治家歴をアピールしているのは3名。あとは、その他で括ってよいだろう。ただし、例のダークホースがまたよくわからないことをやっているな。そんなファーストインプレッションである。政策のほうはというと、政党のバックがある1名は、なるほどなるほど、ぶれがない。政治家歴のある3名は……、いまいち違いがはっきりしない。

 正直なところ、私は県政の課題はいまいちピンときていない。この選挙のきっかけとなった事件以外に、何かあるだろうか。強いて重みをつけるとすれば、エッセンシャルワーカーとして働く家族の職業とか、祖父母の生活などに直接関わるような政策で、国政では扱われにくい課題に対するアプローチにである。このようなところを分析するにはやはり、各候補者のHPから公約を覗くしかない。

 こうして各候補の政策を見比べ、およそ本命が決まった。あとは、ボートマッチやある程度偏りが想定される媒体を駆使し、「答え合わせ」と抜けていた観点の再確認を行う。しかし、この段である、真空地帯に放り出されてしまったのは。ここで候補者7名が出演していた討論会のYouTubeを見てしまったのが、運の尽き。そもそもの前提が覆り始めたのだ。パワハラはなかったという! 例の事件も、裏にあるもっと激ヤバな事件の方こそが原因で、オールドメディアはそれを報じていないという! どころか、それは議会側の圧で隠されたままだという! つまり前職はシロ! なんてことだ。確かに、知事選が始まるというのに、テレビのニュースでは一向に見かけない。例の経済系の新聞の記事を検索をかけてみても、選挙期間が始まる頃にちょろっと申し訳程度に選挙があるよと書かれているだけである。(ご丁寧に、他紙の情報による旨まで書かれているではないか。)

 これは、事実だとすれば本当に由々しき事態だ。権力による言論統制。前職に対する疑義も全て「作られたもの」だったということになる。オールドメディアも議会も毒されきってしまっているということだ。恐ろしすぎる。このどうしようもなさ、寄る辺なさは、私を焦らせた。そしてYouTube動画を漁った。政治の専門家らしい人も訳知り顔でこの話をしている、なるほど詳しい人には、よく知られたことなのか。業界の中にいなければわからないことはやはり、この世の中、多くある。(普通良識ある人は、業界人しか知らないことは、ネットという怪しげな空間では、あまり話さないだろうが。というより話せない、のほうが正しい。私も自分の職業に関することで、表に出してよい情報はないと言ってよい。)

 しかし、気がかりなことがある。彼らの話す内容は全て、見事に情報源が一致している。つまり、例のダークホース。これは、かなり胡散臭い。おっと、危ない。私はもう少しで足を踏み外すところであった。つまりこれは、ネット特有の陶酔なのだ。東京都知事選を思い出してみればよい。Twitterでかなり応援されている印象のあった候補は、落選していた。やはり、選挙というのは対面的な運動と支援組織の獲得がものを言う世界である。ネットの声はたかが知れていよう。今私が目撃したものは、典型的なエコーチャンバに過ぎない。一旦冷静になろう。それに、私がさんざ悩んだところで、おそらく結果は決まっている、前職の有力な対抗馬は早くからいろいろな支援を固めていたようであったから。ここまでが、11月10日のことだ。

 とはいえ、ここまで来ると信用できる情報源はなにもない。まさに「真理とはバッカス的陶酔」である。「そのうちに酔っていないものは1つとしてない。」本当は、各候補の演説を聞きに行くくらいのことはすればいいのだろうが、いかんせん私はごくごく平凡なサラリーマンである。平日日中は動けない。もう、Twitterで状況を見守るしかなかった。一つ補足するとすれば、最近契約した一紙は、権力のしがらみを気にせずに書かれている向きがあり、県への開示請求の結果を11月10日に記事にしていた。まあ、それでも一参考に過ぎず、私の真空状態は解消されない。

 11月11日以降、さらに事態の混迷は深まる。祖母が、前職に同情しているというのだ。これはおかしい! 祖母はネットユーザーではない、つまり情報源はテレビ、ラジオくらいのものだ。いわゆるオールドメディアがそんな扱いをしていたというのか⁉ せいぜい政見放送でそういう結論に至ることはあろうとも、そんなに訴求力があるのか⁉ ネットを情報源とする知人から聞いたのだろうか。このあたりは全然、確かめていないが、私の楽観がまた1つ崩壊した瞬間である。ネットのエコーチャンバが現実界に漏れ出している。とすると、各紙で出ている勢力予想もいつ覆るかもわからない。非常にやっかいだ。

 日に日に加熱的に酩酊の度は増す。市長の有志が支援を表明する? ルール的に問題ないのか? かえって反発を招かないか? しかし勝ち馬には変わりないだろう。前職のバックには某カルトがいるだと? それに例のダークホースにも? ネトウヨまでのりこんできてる? ああ、もうこの人に入れない理由は十分だ。

 あとは勝ち馬を勝たせるか、当選見込みのない政策比較の本命に入れるかの、二者択一。迎えた当日……。

 午後8時。投票締切の瞬間、唯一特番を組んでいるローカルメディアのチャンネルに回す。飛び込んできたのは、再選確実。我が県民は、パワハラ疑惑を不問に付したのだった。

 これは1つ時代のステージが変わったことを意味する。ネット言論が世論を作ったのだ。良くも悪くも、これで一つ実証されてしまった。この先、非常に不安定な時代が、つまり旋毛虫の時代がやってくる。いや、すでに到来している。今回の疑惑に関していえば、本当の意味での真理は、年度末にも第三者的に明らかにされるとのことである。このときに、我々の選択が正しかったのか、否かが真に裁かれるであろう。

* * *

 これを読んだ他県民よ、私の目の前で起きたことは対岸の火事だろうか。この先、もっと大きな局勢で、もっと洗練されたやり方で、我々の認知は侵されるだろう。このことに自覚的であらねばならない。

 この酒宴を傍観した者よ、あなた方は決して酔っていないと言えるだろうか。自らの陶酔に気づくのは、大変難しい。三半規管が弱っているのか、本当に大地がうねっているのか、どうやって見分けよう?

 民主主義の民よ、どうか酔い覚めの一杯を。私はここに希望を託す他ないのである。


いいなと思ったら応援しよう!