きっと誰かが見ていてくれる
パリのモード学校を1年で終了した私は、いよいよスタージュ (インターンシップ) 先を探し始めた。ちょうど米同時多発テロが起きた頃だ。
私は密かに、当時注目していたバレンシアガでのスタージュを企んでいたが、パリに来て1年、フランス語のあまり上手ではない私に、学校の先生が私を推薦してくれることは残念ながらなかった。先生がバレンシアガに推薦したのは、2年生の優等生のフランス人だった (実はその後、その男子から連絡先を教えてもらい、1年後にその目論見は実現する事になるのだが) 。
仕方なく、ちょうど学校に来ていた求人票の中から、あるフランスのトレンドフォーキャスティングの会社 (トレンドを予測する会社) に面接に行き、採用された。会社に日本人はいないので初めてのフランス語での仕事だった。
スタージュなので報酬はゼロ。少ない貯金を切り崩しながら生活している私にはこれは痛かった。
すぐさま、デザイン部門のチーフに「無報酬なのはわかっているが、もし私の働きぶりが良かったらお給料を頂けないか。」と下手なフランス語で精一杯の直談判。こっちは生活がかかってるからもう必死だ。
あまりの必死さが通じたのか、2ヶ月後のスタージュ終了時に、通常は頂けない報酬をいただいた。1,400フラン (当時のレートで約28,000円) 、2ヶ月でたったの1,400フラン… 涙。それでも私の仕事ぶりをきちんと評価してくれてお給料を頂けたことは本当に嬉しかった。
彼らからはその後、フリーランスで会社に残ることを提案されたのだが、当時の私の滞在許可証は学生用で、フリーランサーとしての契約はできなかったので断念。他のスタージュ先を探すことに。
でも、このまま無給のスタージュではこれからの生活が心配だったので、大きな有名ブランドでスタージュ手当が出る会社を探した。それで見つかったのが、高田賢三氏が去った後のケンゾー社だ。
こちらも同じ部署で働く日本人はいなかったので、フランス語の勉強になった。語学教室でいくら勉強してもやっぱり会話力は実践でないとなかなか身に付かない。私はその後も出来るだけ日本人がいないスタージュ先を探した。
自分が出来ることをひとつひとつこなす
最初のスタージュ先では、スタージュなので勿論デザイン画なんて描かせてもらえるはずがない。膨大な数のコピー取りや生地見本をピンキングばさみで正方形に切ったり、デザイナーたちが必要な物のリサーチや買い物に行ったり、プレゼン用のボードを作成したり、本当に雑用ばかりだった。
でも、こういった雑用でも手抜きせず、ひとつひとつ丁寧に仕事を進めていった。言葉はうまくしゃべれなくても、日本での経験を活かしてきちんと仕事をこなしていればきっと誰かが評価してくれるはずだと信じていたからだ。
私自身、フランスで就職して最初の頃、沢山のスタージュ生を雇ったが、最初からデザイン画を描いたり、クリエイティブな仕事をいきなり任せることはまず無かった。
まず、私たちがお願いすることを手早くきちんとこなせてこそ、「この子は仕事がきちんとできるから、じゃあちょっとクリエイティブなこともやってもらろうかな」って感じになる。
みんな、見ていないようでちゃんと見ているのだ。