中世のイングランドにおけるフランス語
11世紀末、ノルマンディー公ウィリアム Guillaume de Normandie (1028?‐87)がイングランド王に即位したことにより、フランス語はイングランドの宮廷、制度、そして文学の主要言語となりました。イングランドで使われたフランス語はアングロ・ノルマン語 anglo-normandと呼ばれ、当時数多くあったフランス語の方言の一つです。宮廷が文人を厚遇した結果、12世紀初頭にはフランス語で書かれた多くの文学作品がイングランドでアングロ・ノルマン語で書かれるようになりました。これには、武勲詩『ロランの歌』Chanson de Rolandの最古のバージョンや、フィリップ・ド・タオン Philippe de Thaon による『動物誌』も含まれています。
この文化的影響は、アキテーヌ公ギヨーム9世 Guillaume IX d'Aquitaine (1071-1127)の孫娘で、賢明かつ精力的なアリエノール・ダキテーヌAliénor d'Aquitaine (1122あるいは1124-1204)と結婚したプランタジネット家のヘンリー2世(1133‐89)の治世下でさらに強化されました。この時期に、『トリスタンとイゾルデ』Tristant et Yseult の最古のバージョンや、マリ・ド・フランス Marie de France による『レ(物語詩)』Lais など、多くの古フランス語文学がイングランドで生まれたとされています。さらに、ヘンリー2世とアリエノールの息子リチャード獅子心王 Richard le Cœur de Lion (1157-1199)は、詩人兼音楽家であるトルバドゥールとしても知られています。
このフランス語の優位は、8~9世紀に『ベオウルフ』Beowulf のような重要な文学作品を生み出していたイングランドの古英語文化を、200年以上にわたって覆い隠してしまいましたが、13世紀に入ると状況は徐々に変わり、イングランド固有の言語である中英語が再び勢力を取り戻します。百年戦争は一時的にフランス語の重要性を復活させましたが、最終的にはその影響を大きく削ぐ結果となりました。とはいえ、法律用語には長い間、フランス語由来の表現が残りました。
こうした背景のもと、2世紀以上にわたってアングロ・サクソンの英語と、政治的・文化的に優位であったフランス語が共存し、英語は多くの語彙をフランス語から借用しました。その結果、英語は他のゲルマン系言語に比べてラテン語的な要素が強くなり、この「ラテン的」な性質が、英語がロマンス語系言語の話者にも広く受け入れられ、国際媒介言語としての地位を確立する一因となったと考えられます。
(出典: Marina Yaguello, dir., Le Grand livre de la langue française, Paris, Seuil, 2003, p. 17 より。日本語訳にあたって、一部、表現等を追記・変更しています)
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