僕はてんかん。大阪から富士山へ。宮城県編。

『富士夢神輿』

そのはじまりは、富士夢祭り発起人の

ドリームアーティスト 大志

が、東日本大震災後の瓦礫で作った、お神輿が第一号。

そして、2012年 被災地で夢を集めながら1000キロを徒歩で巡り、旧暦の七夕の日に富士山頂を1000人で夢を繋ぎ、全国にハッピーニュースが流れた。

そこから、感動、共鳴したものがお神輿を作って、旧暦の七夕を目指し、日本全国を歩く者が増えた。

赤神輿も、2015年にダイキが作り太陽の塔からスタートした。
そして僕が2016年 受け継いだ。

2017年 大阪からスタートして
東北 被災地にはいった。

不思議な流れです。

石巻市に入った瞬間でした。

おじさんが声を掛けてくれた。


「ほんとに来たー!
君のこと、待ってたんだー!」

???

状況が飲み込めない僕は、

「どういうことですか???」

と、おじさんに聞く。

「富士夢祭りのホームページに君が、被災地に来るって載ってたから。
ずっと待ってたんだー」

ホームページを更新されてるなんて一切知らないし、被災地に入るのも

昨日決めたばかりなのに

なお、状況が飲み込めない。

おじさんは

「良かった 良かった
もう、このお神輿見れただけで俺は嬉しいよー
来てくれてほんとにありがとうー」

その場で、漱石さんを渡してくださった。

えー
えー

そのまま、風のように去っていった。

ボー然としていると

目の前に、車が止まる。

60歳くらいの女性だろうか、そして運転席は、その娘さんだろうか。

二人の女性の方が

大量の差し入れをくださった。

びっくりして

「夢を集めてます
良かったら、書いていただけませんか?」

夢ハンカチを用意しようとしたら、

その女性の方は

「夢を見させて頂きましたから。
ありがとうございましたー!」

そのまま、風のように去っていった。

。。。

僕は、その場で号泣した。

嬉しいのと、ありがたいのと。

一ミリでも、被災地を方を元氣付けてやろう。

そんな傲慢な気持ちがあったんじゃないか。

情けないのと。

いろいろ気持ちがごちゃ混ぜになって

泣きました。

被災地されたからって、どうなんや?

生きること

生きてること

生かされていること

そんな大切な忘れがちなことを思い出させてくれました。

そして、ホームページ。

ほんとに僕が被災地に行くことになってた 笑笑

これを作ったのも、まだ出会ってない

のちの、奥さんになる人やったという

オチまでつくという 笑笑

出会っていないのに、もう出会っていたんですね 笑笑

続く❤️

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