卵巣嚢腫手術記録④術後1日目
手術後、寝ては起きてを繰り返していた。
時計がないので正確な時間はわからないが、多分1時間おきに看護師さんが来てくれていた。
さっきまでちょうど良い温度に感じていたのが、手術の影響で体温が上昇してきて暑く感じたり、かと思えば朝方冷え込んで寒くなったりしていたので、こまめに看護師さんが来てくれるのは助かった。
伝える時も意識が朦朧としていて身体が痛くしんどかったけど。
事前の説明で手術翌日には管を全て外し、歩行もすると聞いていた。まだ痛みでベット上でも身体を動かすことができないのに、数時間後に本当にそんなことができるのか懐疑的であった。
点滴には痛み止めが流れており、痛みが強いときは自分でボタンを押すことで追加できる。
痛みで寝返りを打てないのが苦痛で、何度もボタンを押したけど効果はよく分からなかった。
時間の流れがとても遅く感じたけれど、着実に時は刻まれていく。
迎えた翌朝、看護師さんが傷口の確認をしてくれた。起き上がれない状態の私からは見えなかったが、傷口は臍と、下腹部3ヶ所の合計4ヶ所あり、透明なテープが貼られているらしい。
「ここ出血があるので、黒で囲っておきますね」
そう言って看護師さんは黒ペンでテープの上に丸を描いた。
"出血"の言葉にビクッとなる。看護師さんは平然としていたので、きっと普通にあることなのだろうけれど。
身体につけた管は、この時に全て外してもらえた。
点滴も、カテーテルも。
つまりは、これからは自力でトイレに行って、自力でご飯を食べることになる。
管が外れること自体はとても嬉しい。
カテーテルなんて特に。
はじめてのことだから、違和感を感じてもそれが普通なのか異常があるのか分からない。一々不安になるし、外れたりしないかも気になる。
そういうチマチマした悩みから解放されるのはとても良い。
しかし、身体はまだ動かせる気がしない。
痛みの根源は、手術の際腹部を膨らませるために入れたガスだ。
このガスが横隔膜や肩に痛みをもたらす。
どちらも呼吸に関わる部位だから、息もしにくい。
"ガスは動いた方が抜けやすい"
看護師さんの言葉が頭に響く。
入院生活の中で困ったのは、どこまで頑張った方が良くて、どこからは無理しない方がいいのか、そのラインが自分でよく分からないことだ。
でもきっと、今回は動くのを頑張ってみた方がいいようだ。
痛みに耐えながら上体を起こしてみる。
上半身しか起こしてないのに、全く安定感せずゆらゆらする。
なんというか、お腹だけポカっとどこかに行ってしまったような感覚だった。
支えるべき体幹を失ったような。
ベッドのテーブルに肘をつくと、なんとか姿勢を保つことができた。
「トイレまで歩いてみましょうか」と看護師さんに促され、ハンドル付きの点滴スタンドを杖代わりに使いながらベッドから立ち上がる。
上半身だけ起こした時よりもっとゆらゆらする。
なんだかデジャブ感がある。
ああ、あれだ。
映画とかアニメで気を失っていく人の視界を映す演出をたまに見かける。
同じようなカメラワークで世界が見えていた。
一歩一歩が重いし痛いけれど、なんとかトイレとベッドの間を往復した。
普段なら片道5歩くらいの距離。
ベッドに戻って腰掛けたときに、眉を顰めて大きく息を吐くくらい、そのときの私にとっては重労働だった。
看護師さんから「大丈夫そうですね、点滴スタンド片付けちゃいましょうか」と言われたが、首を勢いよく横にぶんぶん振った。首は痛みもなく自由に動かせる。まだ支えなしで歩ける気はしなかった。
自力でトイレはキツかったが、管が取れたことで訪れる、心待ちにしていた時間もある。
ご飯の時間だ。
入院日の夕食以降、点滴のみで一日半過ごしていた。この日の昼食から食事がとれる。
何でもいいから食べたい。
(ストイックに食事制限とかしてる人本当にすごいなと思う。私は一日半の絶食でもう無理だった。)
12時を過ぎた頃、配膳の人が食事を配って歩く音が聞こえてきた。
私の部屋は1番奥。
少しずつ少しずつ、音が近づいてくるのがわかる。
餌を待つ犬がしっぽを振るような気持ちで待っていた。
そしてついに届いた食事。
少しずつ固形物に戻していくため、全てペースト食だった。
元がなんだったのか全くわからない。
それでも嬉しかった。
噂に聞いていた通り、とても味が薄く、美味しいとも言えないかもしれないけれど。
それでも嬉しかったのだ。
食事を終えると、薬剤師さんが部屋に来た。
痛み止めの点滴がない代わりに、痛み止めの錠剤をもらった。
そして、腹部の手術だったため、下剤も一緒に渡された。
腹筋に上手く力が入らなかったり、力を入れるのが怖くて、便秘を引き起こしてしまうらしい。
たしかに、まだ出血もあるところに力を入れるのは怖い。そして、試しに少し力を入れてみると、なんだか腹部を千切られそうな感覚になって気持ち悪かった。
この日からシャワーも解禁されるので、夕方に浴びた。
準備をして息切れし、服を脱いで息切れし、シャワーを浴びて息切れし(座って浴びられる形状で本当に助かった)、身体を拭いて息切れし、服を着て息切れした。
急に60歳くらい年老いた気分だった。
それでも、丸一日シャワーできず、術後の体温上昇で汗もかいていたので、身体を洗い流せてすっきりした。
歯磨きは立った状態をキープできないので、個包装のマウスウォッシュを使った。
病院から渡される持ち物リストには含まれていないが、今回持っていって良かったと思うもののひとつだ。
そのあとはテレビやYouTubeを見て過ごした。
家で積読状態だった本も持って来たが読む気が起きない。
まだ頭がモヤっとする感覚があり、きっと読んでも内容が入ってこないと思ったからだ。
夕食には柔らかめの固形物が出た。お昼全粥だったのが五分粥になった。
まだ身体の感覚では回復してきている実感がない。目に見えて常食に近づいていくご飯だけが、自分の回復を教えてくれた。
夜寝る前、臍の傷口の痛みが気になった。
恐る恐る傷口を見ると、朝に看護師さんが描いてくれた出血の範囲よりも血が広がっていた。
急に不安になる。
しかしナースコールを押すほどのことなのか。
判断がつかずおどおどしていると、夜のバイタルチェックで看護師さんが来てくれた。
傷口について話すと、臍は圧迫されるところだから痛みや出血はよくあることだと教えてくれた。一応傷口の確認もしてくれたが、問題はないらしい。
ほっと胸を撫で下ろした。
入院生活は"わからない"から来る不安がとても多い。"知る"ことで大体解決するので、話しやすい看護師さんがいるかどうかは、入院生活のメンタルに大きく影響しそうだ。
21時に消灯時間を迎えたが、この日は一番眠れなかった。
傷口は痛みもあるが、痒みもある。それが気になって眠れなかった。
病院の夜ってなんだか出そうで怖い。子供の頃流行っていた心霊番組を思い出す。
自分を落ち着かせるため、時折YouTubeを開いて推しアイドルや大好きな柴犬の映像を見たり、推しの尊さを一人頭の中で語り、やり過ごした。
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