映画ブラックナイトパレードを観てカタルシスが起きた話
私は悪い子だった…
推しの作品は内容がいいに越した事はないのだが、実は内容に関係なく、「私に吉沢亮が必要なんだな」って毎回思わせてくれる。今回もそう。
映画「ブラックナイトパレード」
中村光の漫画原作。
いい子には赤いサンタが、悪い子にはブラックサンタがプレゼントを届けにくる。
吉沢亮が演じるのは主人公 日野三春。ある日突如ブラックサンタの袋に捕食され、ブラックなサンタの企業に連れていかれる。そこには赤いサンタはいない。ブラックなサンタが赤いサンタの代わりもしている。てな話。
ここからが本題。
吉沢亮がまたカタルシスを起こしてくれた。
ここからはネタバレなので、すこしでも映画を観る気がある人はご自分の判断で読み進めてくだされ。
簡単に言うとカタルシスは浄化。
演劇用語として使われてるので、詳しく知りたい方はググって。
とにかく、吉沢亮のどの作品観ても私はカタルシスが起きる。ありがとう。吉沢亮。
じゃあ、どのシーンで起きたか。
ブラックなサンタの企業で三春(吉沢亮)が任された仕事は、悪い子にがっかりさせるプレゼントを選ぶ部署。悪い子の度合いによってがっかり指数が決められる。例えばがっかり指数45。本当に欲しいプレゼントとの差が45なわけ。
で、三春は誤差なく悪い子ががっかりするプレゼントを選ぶ。
ここで私の記憶は45年前にフラッシュバック。
4.5歳だった私は、サンタに「リカちゃん人形が欲しい」と頼んだ。が、クリスマスの朝、私の枕元にあったものは、がっかり指数45の「わけわからん洋人形のオルゴール」だった。
私は絶望した。その瞬間親を見限った。
結局、この結果を受け、今の私ができる。
つまり、欲しいものは親に言っても手に入らない。私が欲しいものをくれる人を自分で探す力を手に入れた。
6歳の時、新品の自転車が欲しかった。近所に住むゆとりのある親戚に買ってと頼んで買ってもらう。自分の親に頼んだらおそらく中古だろうとわかっていたからだ。
で、映画に戻ると、
つまり、私ががっかり指数45のクリスマスプレゼントをもらったということは、私が悪い子だったからだ。
いや、まぁ、本当に悪い子だった訳ではないけど、そういう可能性だってあったという、選択肢を見せてくれたのだ。
[自分が全て正しい]と思ってた私に、[私が悪い子だったという考え方もあったんじゃない?]って。
45年前の私の強烈な出来事が浄化された瞬間だった。
ありがとう吉沢亮。
これからもあなたの作品は見続ける。
私のために。