愛しきぷっちょの話
昨年12月に愛犬(ゴールデンレトリーバー)ぷっちょが10歳9ヶ月で亡くなった。
今日はぷっちょの誕生日。生きてたら11歳。
なので、ぷっちょを偲んで私の気持ちを徒然に書く。
亡くなる数ヶ月間は介護(腫瘍からの出血の手当など)で1日のほとんどの時間をぷっちょに費やしたせいか、亡くなった時こそ悲しかったが、やり切った感がかなり強く、葬儀が終わった次の日からスイミングに行ったりと、すぐ日常生活に戻った。
うちはこれまで3頭の犬を見送ったのだが、夫がとにかく犬好きで、亡くなる前からびぇーんびぇーんと泣き始める。そのせいで私は冷めてしまい、もちろん多少は泣くけど、毎回泣くタイミングを逃してしまう。
今回もそうだった。
でも、腫瘍が最初に見つかった4年前から往診してもらってる東洋医学の獣医さん(亡くなる数日前も尿道カテーテルを指導してもらった)や、犬の世話をしてもらってた犬舎の人たちと、亡くなった直後に話した時は、さすがの私もダムが決壊し号泣した。
さて、すぐ日常に戻ったものの、それは突然訪れた。
「それ」とは「寂しさ」だ。
ぷっちょのご飯は4年前から手伝りで、鶏むね肉2枚(もしくは他の肉)を毎日食べていた。家族5人とぷっちょの食材を手に入れることが、日々私の頭を悩ませていた(もう1頭いるシェパードはドッグフード笑)。買いだめしたとて冷蔵庫のキャパもあるし、鶏むね肉は生だともって数日だからだ。
スーパーの肉売り場の前で鶏むね肉に自然と手が伸び、ハッと気づく。
「もう必要ないのか」と。
悩みの種が消えたはずなのに、ぷっちょがいないという現実に胸が締め付けられる。
そして次から次へと当たり前だった日常が当たり前じゃなかったんだと気付かされる。
いつも私が出かけると、私が帰ってくるまでぷっちょは勝手口で寝て待っていた。
勝手口を開けるとそこにいるので、
「もー、他のみんなが家にいるんだから、待ってないでよー!」と私が怒るコントをする。
でも、今は帰宅すると、いつもそこにいるはずのぷっちょがいない。
悲しみで胸が張り裂けそうになる。
そういうイベントを一つ一つ、しっかり受け止め、その気持ちに向き合う。
なのに終わりが来ない。
ぷっちょの食器専用スポンジを見た時、動物病院の診察券を見た時、家具の隙間から白い毛が出てきた時。
毎回ダメージを受ける。
寂しいね。
でも、ありがとう。
それだけいつも一緒にいてくれたという証拠だよねと。
そして、ぷっちょに似た犬の動画を見て、その子の表情にぷっちょを見つけてはぷっちょはまだ生きてるって思う。
「それは愛するって事ね」とお友達が教えてくれた。
すると、YouTubeが急に「星の王子さま」をおすすめ動画にあげてきた。
かつて、何度も本を読もうとトライしたものの、読み進められず、今回はここにヒントがある!と思い、読むのは諦め、素直にYouTubeにすすめられた朗読を聴いた。
あぁ、星の王子さまに書いてあった。
肉体はなくなっても、見上げた星空のどこかの星にいるんだなと。
(詳しくは星の王子さまを読んでください笑)
私が他の犬の動画を見る時、それは見上げた星空のうちの一つの星にいると想いを馳せる事と同じなんだなと。
「いない」けど「いる」
この1年はそれを繰り返し、いつか寂しさが昇華されるのを待とう。
ぷっちょ、寂しいよ。
でも大丈夫。ぷっちょは世界中にいるから。