吉沢亮の効用
「青天を衝け(36)栄一と千代」を見て私にカタルシスが起きた。
カタルシスとは心理学における、浄化および、排他のこと。また、無意識的なものを意識化する方法のこと。
無意識の内に抑圧されている、過去の苦痛や恐怖、罪悪感をともなう体験や、そのときの感情などを言葉で外にだすことによって、「たまっていたものを排出し」、心の緊張がほぐれるようになる。
出典 https://www.recruit-ms.co.jp/glossary/dtl/0000000092/
どのシーンかというと、吉沢亮演じる主人公・渋沢栄一が幼い頃から想いあって結婚した千代をコレラ罹患により突然失い、茫然自失となった最後のシーン。千代が床に伏せていた和室の畳だけが映る。その畳を見つめる吉沢亮があまりにも美しく、私にカタルシスが起きた。
物語としては本当に悲しみが大きく、初めから見ている視聴者の私も喪失感がある。が、吉沢亮が演じていることで、それが美に変わるのだ。
じゃあ、美に変わったからどうだと言うのだ。
私はこういう前提があった。
「夫より先に死んではいけない」
夫は私より8歳年上だし、男だし、一般論としても私より先に死ぬ前提で生きてきた。
これは笑い話だが、今年飼い犬の大型犬が亡くなった時も、亡くなる前の半年間は寝たきりで介護が大変だったが、夫は犬の排泄物の始末をする際「くさいなあー」と連発するので、「あなたの介護する時も『くっさ!』って言ったるわ笑」とからかっていた。
夫は大切な人を思春期に失っており、私は正義感からか、優しさからか、私が先に死んで夫を悲しませてはいけないと思い込んでいた。
でも、吉沢亮の悲しみの姿が美しすぎて、「いや、これはありだな」と思った。
まぁ、夫に吉沢亮みたいな美しさはないけど、吉沢亮はその美しさから私に「夫を悲しませてもいい」と思わせた。
「夫より先に死んで悲しませてはいけない」だと不自由だ。
「夫より先に死んで悲しませてもいい」もあると、自由だ。
どちらかしかないのは不自由。
どちらでもいいと選べるのは自由。
そう、私の前提は浄化されたのだ。
吉沢亮の出る作品で、とにかく吉沢亮が傷つくのが好きなんだが(いわば性癖)、つまり、それは汚くてもいい、弱くてもいい、マイノリティでもいい、というネガティヴな要素を吉沢亮が魅せてくれるからだ。
本当に大好き。吉沢亮。
(あっ、夫も大好きです。好きというジャンルは違いますが笑)