見出し画像

#8 ゆっくりと歩く

どうもこんにちは。

だいぶお久しぶりですね。
忘れた頃にやってくるとはこういう事なのかもしれません。
夏、秋、冬を通り越して、前回の投稿からそろそろ1年が経とうとしています。
お風呂上がりに牛乳を飲みながら、ふとnoteを書こうという思いに至り、カタカタとキーボードを打っています。

・・・

少し時間に余裕ができたというのもあって、思いを馳せる今日この頃です。
社会人人生の約40年のうち、1年が終わろうとしていることを考えるとまだまだ先が長いと感じると同時に、いつからかそれは永遠ではないのだと認識します。
遠い遠い将来を考える必要もなかった昔と、何故か考えてしまう今との間にどんな変化があったのだろうか不思議に思いますが、
おそらくそれは、年を重ねるにつれて時間の経過が早く感じるからかもしれません。
あるいは、大人に仲間入りしてちょっぴり視野がが広くなったのか、、

今日はそんな、時間にまつわる内容を書いてみようかなと思います。

少し前の自分を思い返してみると、少々生き急いでいたのかもしれないと思うことがあります。
簡単にいうと、早く何者かになりたかったです。
自分は特に突出したものがない人間なので、その何かは具体的には持っていなかったのですが、人並み以上にそういった、一種の承認欲求を抱えていたんだと気付きました。

決してそれが悪だとは思っていません。
むしろ、マズローの欲求階層によれば、それが満たされた後でしか、より高い次元の欲求が湧き立つことはないとされています。
多くの人に認めてもらい、信頼されて、どんどん自分の視座が上がる事でより多くの人々に影響を与えられる存在になり得るのだと思います。
そして、それがこそが働く意味であり、価値であるという側面を認めつつも、完全には肯定できないという思いが、自分の頭の中を巡っているのが最近の話です。

欲求というのはしばしば形として認識することが難しく、中には本能的に備わっているものもよくあると思います。
そういった欲求に素直に従ってみることも大事なように思いますが、同時に、一歩引いて自由になる、客観視することも同じくらい、もしくはそれ以上に重要なことだったりするかもしれません。

何者かになりたいと願い生き急いでいると、やはりタイパ、コスパの良い、小手先のものに目が行ってしまう傾向があります。
書店に行っても、『明日から使える○○』や『○○して爆速で成長』、『これで君も○○マスター』なんていうタイトルが魅力的に映るのは、そのためなのかもしれません。
そういう本を読んでも、まだまだ芯の弱い僕はいつかボロが出てしまうことは目に見えています。

まるで細い木に、似合わない花が咲いている様な感覚でしょうか(それはそれで美しいですが)。
そうではなく、ずっしりとした幹を構えるからこそ、たくさんの花や実をつけて、いろんな動物に囲まれる。
厳しい天候も乗り越えられる。
そんな幹は、長い年月をかけて成長していくしかないはずです。
今更かもしれませんが、僕の名前はそんな意味合いも込められているのかもしれません。

今の考えに至ってからは、すぐには役に立たないかもしれない事を学ぶこと、考えること、楽しむことに意識を向ける様にしています。
物質的な豊かさには直結しないかもしれませんが、目まぐるしく変化している今の時代だからこそ、忘れてはいけない根本の部分かもしれないと思うんです。
急ぐことなく、たまに散歩をする様に生きるというのが最近の小テーマです。
周りの景色を楽しめる余裕を持ちたいです。

それでも僕は、周りに流されやすい人間だということも十分理解しています。
以前に残したnoteを読んでみても、「あの時はこんなことを考えていたんだ」と既に懐かしむこともあったりします。
今後このnoteに戻ってくる僕は、似た考えを持っているのか、それともまた違った考えを持っているのか、楽しみに待っていたいと思います。

今回も読んでいただきありがとうございました。
前回の投稿から1年って知ったときはさすがにびっくりしました。笑
なかなかの怠惰ですが、大目に見てください。

引き続きよろしくお願いします


ミキ

いいなと思ったら応援しよう!