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タケチノタネ

「タケチノタネタケチノタネタケチノタネと三回口にしてごらん」といったのは誰だったか。

ワタシの手の中には一粒のコバルトブルーのタネがある。これはこの土地で代々受け継がれてきたタネで、蒔き、育て、タネを採取し次に繋ぐ。

派手なタネの色からは想像できないほどに、このタネから育つタケチは、地味な見かけをしていて、香もなく綺麗な花を咲かせることもない。食べられる果実ももちろんなし。

「タケチノタネタケチノタネタケチノタネ」

 唾を飛ばし、舌を噛みそうになりながら、ワタシは呪文のようにこのタネの名を口にして、「ナンノタメノタケチノタネ」と付け加え、そのタネを土に埋めた。

刹那、鼻の奥がずんとして、鼻血がたらりと垂れはじめ、タネを埋めた土を赤く染めた。

ワタシは余計な一言をいったがために、タケチの怒りを買ったようだった。タケチは白々しく、垂れる鼻血を指差しながら「ハナヂハドコカラデルンデスカ?ハナヂハナゼデルンデスカ?」と囁いていた。

 庭にはタケチノタネより育ったタケチがわっさーわっさーと茂っている。その中のいくつかは今まさに頭上に出来たコバルトブルーのタネを風にのせて飛ばそうとしていた。ワタシは慌ててそのタネに駆け寄り採取した。

なんの役に立つのかわかないこのタネを、見掛けると放っておけずに集めてしまうのは、ワタシだけでなく、この土地に育った人々の習性だ。頭で考えるより先にカラダが動いてしまうのだ。

採取した十粒のタケチノタネを先程と同じ様に土に埋めた。ほんとはもうこのタネを埋めたくない。

庭はすでにタケチだらけで息をするのも苦しいくらいだ。食べることもできず、鑑賞するのに適しているわけでもなく、建材にもならない役立たずのタケチをこれ以上育ててなんになる。

これは心の声だったのに、耳ざといタケチはワタシの二の腕をつまみ意地悪にねじった。

 タケチから逃れるように家に戻り鍵をかけた。カーテンを閉め庭のタケチが視界に入らないようにして一息ついた。

左の二の腕のつねられた場所が赤くなっている。これはヒダリタケチの仕業だろう。ヒダリタケチは左利きで、必ず人間の左側にちょっかいを出す。逆にミギタケチは右好み。

ちなみにフタゴタケチは胴体から二股に分かれていて、必ず片方が右利きで、もう片方が左利き。お気に入りの囁きは「フタゴタケチハキノコデナイ」

 午前十一時。仕事に出掛ける時間だ。ワタシは麻袋を肩に下げ、伊達メガネをして家を出る。

道を歩けば嫌でも視界に入ってくるタケチを、むきだしの眼で見るよりも、レンズを一枚通した方が気が休まる。

ワタシは海に向かった。海がワタシの仕事場だった。海岸には石がたくさん転がっている。ワタシはその石を拾う。なんのための石拾いか?と問われても、理由はよくわからない。

代々ワタシの家は海岸で石を拾うことを生業としていたので、ワタシも石を拾うまでだ。拾った石は石置き場に持っていけば換金できる。石が何に使われているのかは知らない。幼い頃は石を拾ってばかりいる両親を恥ずかしく思った。

他の人みたいに、ビニールに空気を集めたり、裸足で地面を踏み鳴らしたり、木の幹に股をこすり付ける仕事でなく、なぜ、石ばかりを拾うのか?ワタシの問いに両親はいつもこうこたえた。

「わからない。ただ石を拾う家に生まれたから」つまりは今のワタシと同じこたえ。


 石を拾うワタシのまわりで春が過ぎ、夏が広がり秋が燃え、冬が凍てつき再び春が巡ってきたある日のこと。

立派な車に乗った一行がこの地にやってきた。彼らは車の窓を下ろすと、石を拾うワタシを指差しこういった。

「なんという役立たず。石を拾ってなんになる。彼女はなんの利益も生み出さないただのごくつぶしだ」

刹那ワタシはどきりとした。彼らのコトバはタケチに対するワタシの心の声と瓜二つであったから。

仕事を終え、家に戻ると庭のタケチに水を撒いた。水を浴びたタケチは楽しそうに「ミズモシタタルイイタケチ」とおっぱいを振る。

そんなタケチを見ていると水を撒いた自分がとても役に立つ人間であると思え、先程の男たちが吐き出したコトバを忘れることができた。

ワタシは庭の隅のタケチにも水をやった。一年前に蒔いたタネより育ったそのタケチはサカゴタケチで、球根みたいな頭を土にうずめ、逆立ちしたまま成長していた。

機嫌がいいのか両足を開いたり閉じたりして時折放屁するのを眺めていると、サカゴタケチはその片足でワタシの頭を思いっきり蹴った。

ワタシは地面に倒れ、その時初めて自分が「サカゴタケチハゴクツブシ」と呟いていたことに気が付いた。

その日から立派な車に乗った一行は、この地を度々訪れるようになった。

そしてこの土地に住む人間は皆、彼らに役立たずのレッテルを貼られていった。当然、彼らはタケチのことも目にしていて、役立たずなモノだと決めつけていた。

「一帯に茂るこのタケチとやらはなんなんだ。何の役にも立っていない。タケチは無能だ」といった男の乗った車のタイヤに、割れたガラスを突き立てたのはタケチだった。

「タケチはなんとも気味悪い。タケチを全部引っこ抜け」と怒鳴る薄毛男の髪の毛を、引き抜いたのも勿論タケチ。

こうしたタケチの振舞いに怒った彼らは、ある朝たくさんの作業員を引き連れて、トラックで乗り込んできた。

「刈り取れ!」という声を皮切りに彼らは鋭い鎌を振り上げて、タケチを刈り取りはじめた。

「チケタチケタハタケチノギャク!」

「タケチハケチダガカネモチダ!」

耳をふさいでも入り込んでくるタケチのこうした悲鳴がこの地に響き渡った。

ワタシは震えた。こんな愚行をすれば良くないことが起きると思った。

枯れていない生命力のあるタケチを刈り取るなんて!役立たずのタケチであるはずなのに、いつの間にかワタシはタケチの肩を持っていた。

 タケチを刈り取るのは枯れた時だけと決まっている。ワタシたちは枯れたタケチを集めて海に捨てていた。タケチは火を点けても燃えないし、勝手に土に戻ることもない。

ただ海水に浸すとじわじわ溶けていくのだから、ワタシたちはタケチを海に捨てるのだ。溶けたタケチが海の役に立っているのかはわからない。

もしかすると最後ぐらい何かの助けになっているのかもしれないが、これまで通り役立たずのまま消えているのかもしれなかった。どちらにせよ、今となってはそんなことはどうでもいい。

 日が沈む頃にはこの地のタケチはすべてきれいに刈り取られた。口を開け白目を剥いて横たわるタケチが、トラックに山積みにされていた。

彼らは自分たちのやったことがいかに有益であったかを滔々と述べ、満足気にタケチをのせてこの地を去っていったけれど、残されたワタシは首を傾げる。彼らがやったことはホントに有益なことだったのか?

 その夜はとても静かだった。

タケチがいた夜は、ベッドの中にいてもワタシはタケチを感じていた。

カーテンの隙間からそっと覗くと、夜のタケチは空を見上げて口笛を吹き「タケチハヘビヲヨビツケタ」とにやけたり「タケチノツメハヨルニキレ」とか「タケチノユメハヨルヒラク」などと寝言を呟いていたものだったが、当然のことながら、その夜はそうしたタケチの口笛も寝言も聞こえてこなかった。

静かな静かな夜だった。

 翌朝、立派な車に乗ったお馴染みの彼らが意気揚々とやってきて、ワタシたちに赤いタネを配り、それを蒔くようにと命じた。ワタシはなぜ彼らに命令されなければいけないのかわからなかったが、とにかくタケチが育っていた場所にそのタネを蒔いてみた。

彼らはそのタネをタナカノタネと呼んでいた。

タナカノタネはよく育ち、甘い匂いを放つピンクの可憐な花を咲かせた後に、たくさんの実をつけた。その実は甘酸っぱく、ワタシのお腹を満たしてくれた。いわゆる役立つタネだった。

ただ、ワタシはタナカノタネを蒔く時に「タナカノタネタナカノタネタナカノタネ」と唱えなかったし、物言わぬタナカノタネをツマラナイと思っていて、そういうワタシの心の声を聞き取ることのできないそのタネを、なんだか信用できなかった。

つまりワタシはタケチが恋しかったのだ。

タケチはどこに捨てられたのか?

海に捨てられたのでないならば、タケチは朽ちずに存在しているはずだった。

存在しているのであるならば、あのコバルトブルーのタネを風に乗せ、飛ばせることができるかもしれないと期待した。

ワタシは、ワタシたちの子孫である誰かの手にそのタネが舞い降りて、土に蒔かれるところを想像する。そのタネは再びこの地に根付くだろう。  

役立たずのタケチが育ったこの土地で、同じく役立たずと呼ばれたワタシは、ようやく役に立たないモノたちのささやかな役割に気付きはじめる。

だから。

「タケチノタネタケチノタネタケチノタネ」

 ワタシは大地に向かって願いを込めてそう唱えた。

(完)

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多圭智みき
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