快楽主義という生き方の選択
気が付いたらこの世に産み落とされ、成長するにしたがってどんどん膨らむ「自分はどうしてこの世に生かされているのだろう」という思い。生きる意味を提示してくれないと時に世の中の残酷な渦に飲み込まれ自分を保っていられなくなる。
堂々巡りで答えがない問い。でもだからこそ人は自分なりのはっきりとした答えを持って生きることができるのではないだろうか。今回は快楽主義という生き方を紹介していきたい。
快楽主義という哲学に学ぶ生き方
まず快楽主義という哲学は快楽という部分に重きを置いた考え方である。苦しみや悲しみは価値がないとし、楽しみや喜びにこそ価値はあるということ。
人は死んでから先のことは誰にも分からない。輪廻転生して生まれかわるなど、考え方は多々あれど実際に生まれ変わっているかどうかは誰も知ることができない。
だったら生きている今をいかに大事に生きていくかということが重要になってくる。「生」のルールにのっとって、どうすれば死ぬのかは分かる。しかし死んでから先のことは「死」を知ってからしか分からないものなのである。
完全に無になってしまうと考えたときに
輪廻転生という考え方をしたときに、徳を積んでおこうという思いが同時に起こる。嫌なこと大変なことを修行だと思って取り組んでいく。人には優しく、親切にしておく。答えがないのでこの考え方も正解だろう。そして人に対して良い行いをしておいて損はない。
でも何もかもが自分の中の答えであって正解は死ぬまで分からないということは常々考えておくべきだ。正解のないことなのに輪廻転生するという考えのみで動くことはのちに後悔を生むのではないだろうか。
死んだときに、完全に無になってしまうという考え方も受け入れよう。この世界で経験したこと、思い出、新しくできた家族、友達、仕事の功績、すべてをこの世に置き去りにし、自分はすべてを忘れ無になると考えてみるのだ。
人生は一度きり!そして最期は無になって死んでいく。まるで私はどこにも存在していなかったかのように
全てを忘れ無になると捉えたときにあなたは生きる意味を真剣に考えるはずだ。私のように。すべてを忘れ無になるとは、今生きている今世で今していることが全くの意味をなさない。最期には死が待っている・・・死ぬために生きていると言っても過言ではないだろう。
それでは生きる意味がないと嘆いたところで、私たちは今現在息をして生きている。だったらこの命をどう輝かせたいか。そこに力を注いだほうが良い。生まれ変わる前提で人生を生きるより、人生一度きり・しかも最期は死んで無になると思って生きたほうが人生が豊かに過ごせるだろう。
常に自問自答を!あなたはどう生きたい?どんな人生にしたい?
人生一度きりどんな生き方をしておきたい?後悔をしないように精一杯生きるにはどうすればいい?永遠に一緒にいようと約束したあの人のことも死を境に忘れてしまうとしたら。まるでなかったかのように記憶からもろとも消えてしまうとしたら。
あまりにも短い人生を思いっきり生きて愛しい人との楽しい思い出を抱えきれないぐらい作りたくなるのではないだろうか。会社でパワハラやモラハラに耐えることが馬鹿らしくなってきませんか?陰湿な家庭環境からさっさと逃げ出して自分の人生を生きてください。快楽主義という思想を自分の人生に取り入れ、己の人生を謳歌しようではありませんか。