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祖父


おじいちゃんが死んだ。

おじいちゃんが死んだ。


もう二度と、守れない約束を残して祖父は死んだ。


あれから幾らか時間は経ち、私の手の中に残るものは祖父が大切に育てていた土佐寒蘭とラップにくるんだ数本の髪の毛だけである。


最後に会ったのは2年前の秋、

友人と瀬戸内を旅行して別れた後ひとりで高知へ向かった。

サプライズとして直前に知らせた帰省も、

祖父母は驚く事なく、田舎で繰り返される日常に私だけが飛び込んで、その流れから外れていく。

そんな滞在だった。

ただ一つ、別れる最後の日だけは違った。

今思うと祖父はただ1人、これが最後の時間だと分かっていたのかもしれない。


リビングで椅子を外に向け庭を見るふりをして、

小さくも大きな大工の背中は、幾ばくか丸まってレースのカーテンに涙を染み込ませていた。


最初で最後の涙だった。


『おじいちゃん頑張って生きるき。まだ死なんき、会いにきーや。』 


抱きしめた祖父の身体から、生温い香り。

男らしさと家に籠る木の香りが混ざった、
それが祖父のにおいだった。


『おじいちゃん帰るよ。また絶対来るからね。』

最後の日。


幼い頃から、滞在が終わり両親の運転で福岡へ帰る日は毎度欠かさず家を出て道まで見送ってくれた。

その日、祖父は家から出なかった。

家の窓から、お出かけ用の帽子をかぶって小さく、ずっと手を振ってくれていた。




祖母の運転で最寄りの須崎駅まで送ってもらうのに、祖父は本当はついて行きたかったのだ。

排泄をコントロールしにくくなっていた祖父は
迷惑をかけまいと遠慮して、来なかった。


通夜の日、葬式、空港、自宅、
あの姿、あの帽子を思い出して何度泣いただろう。


祖父の危篤の連絡を受け、

私は師に断りを入れ、仕事を休んで会いに行った。


タクシーで祖父母の家まで向かって荷を下ろし、

祖母と夕食の買い物へ出かけた。


認知症が進んできている祖母は、祖父の入院は理解しているもののその状態の緊急性には気付いていなかった。

『明日時間があればおじいの病院にいこう』

今思えばその時なぜ『今行かなきゃ』と言えなかったのか。

夜、夕食に味噌汁とあじの干物焼きをつくって2人で食べ、寝床についた。

夜中0時ごろ、病院から電話がかかってきた。


私は覚悟し、一緒に病院へ向かおうと思ったが、

祖母とおじは私を連れて行ってくれなかった。

何度か食い下がったものの、状況は変わらず
私は他所の土地から来た者でもあるので遠慮が働いて家でまった。


あの1人の時間の悔しさと、もしかしたらという緊張、どうにも眠れなかった。


『なぜ連れて行ってくれない?』

その感情に押しつぶされそうだった。





早朝5時、祖父が死んだ。


福岡にいる両親が10時に到着予定だったので、
一緒に葬式所にむかった。


遺体の前に、祖父が入院していた病院の封筒。


何故かそうしなければいけないような気がして、
病院名をマップで調べた。


自分の愚かさに腹が立った。虚しかった。

深い青、そして紺、藍色、黒に身体が沈んでいった。


その場所は、東京から帰省してタクシーで祖父母の家に向かう駅からものの5分で着く場所だった。


祖父母の家より病院の方が近かった。


何故帰省を決めた際に病院名を聞かなかった?


何故第一に祖父母の家に向かった?

おじいちゃんは危篤状態でいて、まだ生きていたのに何故すぐ会いに行かなかった?


あのタクシーから一つ山を越えた先で、
祖父はまだ生きていたのに。


私はおじいちゃんに会いに来た。


葬式に参加する為じゃない。


おじいちゃんとまた会う約束を守りにきたのに、


どうして。どうして。
守れたはずなのに。



1人で過ごした夜の時間も、

もっと食い下がってついていけば
声をかけられた。

おばあちゃんの車の鍵を使って勝手にでも会いにいけば、

おじいちゃんのぬくもりに触れられた。



どうして。


目の前には冷たくなった
骨の太い大工の手。やわらかな髪の毛。

そこに心の通わせられる祖父はもういない。

物質としての祖父。



こんな別れ方は想像もしていなかった。



あの時ああしていれば、ということは
よく言われる決まり文句だが、


身に突き刺さり、切り裂くような言葉になった。



通夜前日、私の身体は言うことを聞かなくなり、

呼吸はコントロールできなくなった。


動くのは目と口だけ。


身体の全てが、祖父の死というショックと自らの行為への後悔で溢れ、鉛のようにかたまり、本当に動かなくなった。

今でもたまに、身体が動かなくなる時がある。


葬式の日、

父親が涙と共に私の手を握った。
母親が私の背中をさすった。

温かさが余計に、失う悲しみの輪郭をはっきりとさせたが、同時に忘れていた家族の絆と両親の愛を思い出させた。




棺にはシールではなく釘を打った。
その音はあまりに残酷だ。

共に生きた人の手で閉じ込める。


『釘も打てないような棺には入らない』

それは、生前の言葉だった。

大工である祖父の尊厳を守り、
二度と出られぬ棺に身を収め、

帽子と共に、

祖父は灰となった。


あれから数ヶ月、


私はいまだに立ち直れない。


いつも通りのフリをして、
日常生活では人との関わりには心を閉ざしている。



動かなくなる身体と向き合いながら


少しずつ死を受け入れなければならない。




命の巡りの中で、死は誰にでも
順番にやってくるのだから、

祖父も生き物として正しく消えた。


本当に受け入れなければならないのは、
死ではなく『後悔』かもしれない。


祖父の寒蘭は、新芽が伸びて葉となり
優雅な曲線を描きそのこうべを垂れつつある。



冬には花を咲かせられるよう、


春にはまた新たな芽をつけられるよう、


大切に育てることで、


私は祖父と生き続ける。



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