生きているということ、 存在するということ。 解明されていない事象を含め“生命の神秘”というが、あまりにも不可思議でどうにかなってしまいそうだ。 神秘というような尊いものではなく、 これは奇妙、不気味、正気ではいられない。 動いている。 考えている。 記憶する。 想像する。 全てがおかしい。 ある日、人間の脳を映像で見た時、 身の回りの全て、私の肉体も精神も不確かで曖昧なものになってしまったのだ。 脳からの信号を受け取って身体が動く、 海馬が記憶をつかさどる、
おじいちゃんが死んだ。 おじいちゃんが死んだ。 もう二度と、守れない約束を残して祖父は死んだ。 あれから幾らか時間は経ち、私の手の中に残るものは祖父が大切に育てていた土佐寒蘭とラップにくるんだ数本の髪の毛だけである。 最後に会ったのは2年前の秋、 友人と瀬戸内を旅行して別れた後ひとりで高知へ向かった。 サプライズとして直前に知らせた帰省も、 祖父母は驚く事なく、田舎で繰り返される日常に私だけが飛び込んで、その流れから外れていく。 そんな滞在だった。 ただ一つ