静と動の狭間で
写真はひとこま
静の世界で表現する。
たくさんのコマが
並べられて動くのが動画。
近頃の動画編集ツールの
その格段の進歩に
感心せずにはいられない。
ガタガタの画面上で
左右に動くインベーダーゲーム。
ボールを打ち返すだけの
シンプルなテニスゲーム。
それをリアルに見てきたし
少しだけデジタルデータ
編集アプリを仕事上
使った経験があるから
ことさら進歩度合いに
驚嘆するばかり。
さて猫も杓子も動画編集が
できるようになった昨今
天邪鬼の精神が
むくむくと頭をもたげる。
じゃあアタシは動画をやらない。
きっかけは溜まりに溜まる
日々の写真の処理だった。
空・雲・料理・植物
そして日常生活のあれこれ。
一瞬のおもしろさを
切り取って眺めることが大好き。
ホルダーにたくさんの写真が
どんどん溜まっていく。
スマホが悲鳴をあげるまで
つい溜めてしまう習性を
なんとかしようと試行錯誤した。
やはり簡単な操作で
見ることができない状態の
写真はわざわざみない。
どれほど惚れ込んだ1枚であっても
日々の重なりに埋もれていく。
ならば見やすさ重視で
インスタとYou Tubeに
ずらりと並べることにした。
フェイスブックのアルバム機能も
使ってはいるけれど
個人的な相性はそこそこ。
見返すときに不便さを感じる。
どんなサービスを使っても
整理整頓クセは顔を出す。
ある程度の規則性や色彩が
統一されないと気持ち悪い。
コレクションのように
並べる順番にもこだわる。
それでいい。
それがいい。
いちばん見たいのは私だ。
何度みてもうっとりするのは
蘇る思い出や空気感のおかげ。
それでいいのだ。
世の中の流れのスピードが
どんどん早くなり
何かを置き去りにしていく。
すべてを抱えていては
足どりが重すぎて流されてしまう。
自分が拾い上げたいものはどれ?
フォーカスしたいものはなに?
これを問いながら時空をかける。
自由自在に動くために
いらない荷物は手放す。
明日は処分する夏物を
リサイクルボックスへ。
おやすみなさい。
(はてなブログ「アレコレ楽書きessay」2022.10.5 転載)