平野歩夢考1~アンガーマネジメント

納得がいかなかったですね。正直、全然おかしいなと思って、どういうジャッジしているんだと。でも点数出ちゃっていたし、その場でどうこう言って変わる問題でもないので、結構もう正直自分の中では、笑えないというか、怒りが自分の中で出ちゃっていた部分が、いいスイッチになったのかな。

 本来は緊張やプレッシャーはあるはずなんですけど、今回のオリンピックではそれが自分の中にあまりなくて、2回目の点数にも納得いってなかったりとか、3本目同じトリックかそれ以上のことをして、見せつけてやりたいという気持ちが強く出ちゃってて、それが集中力にもつながって、普段以上の滑りができたっていうのも、気持の部分だったり、それ以外の部分がその時冷静に整っていたのかなと、自分でもなんか・・なかなか経験できない気持にはなっていた。

平野歩夢は2回目の得点への怒りを3回目の完璧な自己表現に昇華させていた。

無意識に、怒りを自分で好きなように処理していたとも言える。

怒りというものはいっときの衝動だから、自分で好きなように処理できるものだ。怒りをそのまま表に出せば、短気な人間のふるまいになる。ところが、他の形に変えて外に出すこともできる。抑えこんで消えるまで待つこともできる。

「超訳 ニーチェの言葉」フリードリヒ・ニーチェ 白鳥春彦編訳



一方で、

で日米の実況の違いで触れたように、

感情を抑えることばかりを学んできた日本人は、単純に怒りを発することも学ぶ必要があるのではないか。たとえ、それが、短気な子供じみたふるまいだとしても。

最近、アンガーマネジメントに注目が集まっている。本来は「怒らないことを目的とするのではなく、怒る必要のあることは上手に怒れ、怒る必要のないことは怒らなくて済むようになること」を目標にしているものだが、日本では、「怒りを鎮める6秒ルール」のように怒りに反射せずコントロールすることに重点が置かれがちだ。

洋画や海外ドラマでは、必ずと言っていいほど激しい怒鳴りあいのシーンがある。アンガーマネジメントはそのような土壌が前提となって生まれたものだ。

うまく怒りを発することができない日本人が、怒りを鎮めることだけを学ぶのはかえって良くない気がする。(※本質的なアンガーマネージメントを否定するものではありません。)

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