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部活あるある問題を、カードで聴く②

今日は前回のつづき。(前回の記事はこちら。)

さて。帰宅してからもう一度前日のことを聞いてみた。

次女の話を要約すると、
話合いを仕切っていたのは顧問の先生(話し合いというより、先生の説教、と私は受け止めたが…)。
先生はひと通り話すと、「あとは自分たちでどうするのか決めなさい。プレーするのは自分たちなんだから。」と生徒たちに”丸投げ”したそうだ。

”丸投げ”と感じた次女は途方に暮れたらしい。先生の話の流れは、ガッツリやるか気軽にやるかの二択。
そうなると生徒同士の話合いもその二択の中での視野となり、
少数派のガッツリ系は、気軽派に飲まれるカタチとなった。

ガッツリか、気軽にか。
AかBか。
次女の話を聞いていて、話し合いの本当の終着点はそこではないよね、と思ったし、次女もそう思っていた。

彼女はみんなでプランCを出したかった。


学校の部活動って、本当にムズカシイ。
何を大切にしたいのか、
ここに集まる目的は何なのか。
そのときに集まっている生徒たちが持ち合わせている価値観は違うだろうし、学校が決めるのも、先生が決めるのも違う気がする。
だからこそ、何十年もの間こういった問題が繰り返されているのだろう。

こういった対立の場面にNVCを生かすとしたら、どんなことができるだろうか。まずはそこにミディエーター(調停者)がいて、お互いのニーズ(大切なもの)を聴き、その願いの橋渡し・話の交通整理をすることなのではないか、と考える。

タイパを重視せざるを得ない学校現場では、時間がたっぷりとかかるNVC的手法はある意味不向きなのかもしれない。
でも、正直に自分の思いとつながりながら自己表現をし、それを相手に受け取ってもらいながら双方の考えの融合を図る体験を思春期に味わうことは、大人になってからも生き続けるんじゃないかなぁ。

先生でもいいし、
こういうときに出動する第三者の大人でもいいし、
生徒同士でもいい。

誰かがミディエーターとなり、大切な願いを真ん中に置いた対話ができるといいなぁ、と妄想する。

NVC的ミディエーションの知識、学校に広がってほしい。
説教でも、話し合いでもない、

対話ができたらいいのにね。

そしてこんなとき、
このカードを囲むだけで、ちょっと場が和むと思うんだよね。
ただただ暴言を吐くのではなく、
次女と私で深刻さを脇に置いて対話ができたように。

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