夢(母の難病#29)
その晩、夢を見た。
母と私が、会話をしている夢だった。
母は若々しい笑顔を浮かべ、まだ50代のときのような溌剌とした姿だった。
最初はたわいも無い雑談をしていたが、
その後、「自分はもっとあんなことをしたかった、こんなことをしたかった」のようなことを話し、終盤、私に感謝をしていると話した。
「応援しているからね」
最後はそうはっきり言って、母は夢の中でも亡くなった。
夢から覚めたとき、何とも言えないあたたかさと絶望が広がった。
あたたかさの正体は、病に侵されていない母とコミュニケーションをとれた喜びであった。私+家族が帰国してから3年半、本当は母と本音で会話をしたかったのに、認知症というオブラートに包まれてしまい、噛み合わない会話に虚しさを覚えてきた。それが全て払拭されたかのような、素の母と数年ぶりに出会えたかのような清々しさがあった。
あぁ、母が気にかけて夢の中に出てきてくれたのかなぁ。
そんな風に思い、真夜中に1人号泣した。
そういえば、四十九日が2日ほど過ぎてしまっていた。
母は私に思い出して欲しかったのかもしれない。
母、ごめんね。
とりあえず、インフルの隔離期間が終わったら色々やるわw
1人夢に浸り涙を流したのも束の間、四十九日を忘れてしまっていたことを思い出したらその感動は一気に冷めて再び眠りについてしまったw。
そうこうしているうちに、私のインフル隔離期間は無事終了。
(多分、年末の体調不良で一番重症だった夫は、検査をしても陰性だったがインフルエンザだったのだろう。夫がやっとこさ元気になったところで、私がそれを引き継いだ)
昨日から仕事復帰。
次女は今朝無事に高校入試の試験日を迎えた。
私が発熱した翌日、次女が「頭が痛い」と寝込んだときには一瞬目の前が真っ白になったが、丸2日泥のように眠り続け、その夕方には「治った!」と起きてきたときには心底ほっとした。
(ちなみに長女の高校受験では、家族全員コロナにかかったために私立高校の受験ができず、後日追試を受けたという苦い思い出がある…。)
若いってすばらしい。
そして、私に似ることなくスポーツ万能な子に育ったおかげで、免疫力が高いのだろう。
春が待ち遠しいね。
まだまだ寒いから、母の納骨は暖かくなってきてからかな。