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検査入院の終わり(母の難病#12)

【10月22日】

大学病院での検査が終わり、かかりつけのA病院へ戻るタイミングを模索していた中、大学病院の主治医から電話が来た。
「かかりつけのA病院から、明日か明後日なら受け入れが可能だと連絡がきたが、付き添いをお願いしたい。どちらなら付き添いが可能か。」という内容だった。
何とも急な話だw
急だけれど都合が良い。翌日は仕事を入れていなかった。

そんなわけで、大学病院からかかりつけのA病院への転院が突然決まった。

転院は事前に承知していたけれど、やはりA病院で全く面会できないのは何とも言えない不安感があった。A病院を介さずに、療養できる病院か施設に直接入れればいいのに…と思ったが、システム上紹介したA病院に一旦戻るのが筋なのだろうし、療養先を探すのにも時間がかかるため、それを待つ時間は大学病院側にはないのだろう、と理解した。
仕方ない。

看護師さんから、「転院にあたり家族からA病院に申し送りしたいことはないか」と聞かれ、真っ先に面会のことを伝えた。

「そうでしたよね、面会できないのはご家族としては不安ですよね。」

こちらの気持ちを反復して伝え返ししてもらうだけで、十分に気持ちを受け取ってもらえた、と思えて、身体の緊張が緩んだ。

その後、主治医からこれまでの病状や検査の結果などの説明を受けた。とは言え、偶然に主治医と会って話を聞いたこともあったし自分の目で見てきたこともあったので、これまでの総集編みたいな話だった。

それに加えられたのは、最後の治療となったステロイド点滴の効果はほとんどなく、ヤコブ病で間違いないだろうとのこと。しかし、確定診断は髄液検査の結果が出る1〜2ヶ月後で、指定難病の手続きはその後になる、という話。心苦しい話ですが…と、主治医は申し訳なさそうにそれらの話を私に伝えた。

そして余命にも触れた。2週間〜数ヶ月、年を越すのは難しそうだ、と伝えられた。2週間、というのは結構なインパクトがあった。そうか。ものを食べられない、飲むこともできない、というのはそういうことなんだ。
ヤコブ病は五類感染症のため、胃ろうはできないのだそうだ(普通に過ごしている分には感染しない)。そのため、栄養の補給は点滴だけ。点滴だけでは1日に必要なカロリーも栄養素も補えない。

母の死がぐっと近くなった瞬間だった。

さっきまでは、明日からしばらく母に会えないということが重くのしかかっていたが、それを越える事実が近づいたことに圧倒されそうになっていた。



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