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医療施設型ホスピスへ(母の難病#15)

【11月1日】

母の2度目の転院の日。
この日は夫に半日仕事を休んでもらい、転院に付き添ってもらった。
夫の車に購入した棚や椅子などをのせ、2人でかかりつけのA病院に向かう。

1週間ぶりに会った母は相変わらず腕をパタパタと動かし、虚ろな目をしていた。若干顔色が悪く見え、顔の皺が目立つような気がした。

会計を済ませ、書類をもらい、地域連携スタッフが予約してくれた介護タクシーに私と母が乗る準備をする。が、ここで介護タクシーが10分の遅刻。タクシーの中でその遅刻の理由を延々と聞かされた私は穏やかに相槌を打っていたが、「遅れると分かった時点で連絡くらいよこせ!」と心の中で毒づいた。多少の緊張と、疲労とで、もういっぱいいっぱいになっているのが自分でも分かった。

そうこうしているうちに、これからお世話になる施設に着いた。A病院からは車で40分以上かかるが、私の自宅からは10分以内で着く距離。これはありがたい。
医療に特化した介護施設、と説明を受けていたが、見学したときのパンフレットを見ると、「医療施設型ホスピス」と書いてあった。着いた後は夫に棚などの搬入をお願いし、私は怒涛の契約に挑んだ。

このホスピスは、いわば"空箱"である。
まずはホスピスに入所するのでホスピスの会社との契約、そこで看護を受けるので訪問看護ステーションとの契約、といったように、訪問介護ステーション、ケアマネ、介護用品会社、訪問診療、訪問歯科、と契約を結んで空箱を埋めていく。そこで初めて入所者オリジナルのケア構造が成立するのである。

面談室に時間差で次々と現れる担当者から説明を聴き、署名をし、押印する。途中で疲労困憊となり、なんと署名しながら私は一瞬寝てしまったw。貧血を起こしたのかと勘違いされ、危うく騒動になるところだった。そこからは、私の名前と母の名前を混同したり、私の名前を書くべきところに夫の名前を書いたりして、訂正印も出動。

ここに着いて5時間後。やっとこの日の作業が終わった。途中1時間の昼休憩があったものの、なかなか辛いものがあった。

体力的にも辛かったが、久しぶりに精神的にもインパクトがあった。
それは、「母の状態は終末期であり、もはやいつ亡くなってもおかしくない状態だと認識している」と聞かされたからだ。

確かに余命2週間〜数ヶ月と言われていて、1週間は経ってしまった。そう考えると新しい情報を伝えられたわけではないのに、このときなぜかショックを受けている自分がいた。

そうか。もう母は終末期を迎えているのだ。

最後に母の部屋(個室)へ行き、母にひとり言をつぶやく。

「そうそう。チェロのCDを買ってきたんだよー。
私、チェロのCDを持ってなかったからさ、中古CDとかレコードを売っているお店を見つけて、買ってきたの。」

1週間ぶりにラジカセから音楽が流れた。
母の目が大きく開いたので、多分聞こえているのだろう。
会話が成り立たない今となっては、目の動きやミオクローヌスの状態が、母の意思表示だと思っている。ミオクローヌスは不随意運動なので本当は意思とは関係ないが、それでも何か刺激になると、ミオクローヌスは大きくなっていると思う。わずかな反応があることに、私は嬉しさを感じていた。

しばらくCDを聴いた後は、NHK-FMのラジオに切り替えて部屋を出た。

疲れた。
でも、明日からは時間を気にせずに面会に行ける。
と言っても、会話ができないので私がぼーっと座りながら母と共にCDを聴き、時折母に話しかけるだけなので、そんなに長い時間はいないのだが。

それでも、これで最後であろう転院を成し遂げて自己満足。夕飯は外食にし、早々に深い眠りについた。

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