病院の待合室でせがまれたもの
今日は介護ネタ。
私の両親は高齢者施設に入所している。
なので、ありがたいことに普段は職員さんが全てのサポートをしてくれる。
が、2人ともあちこち病気もちであるため、月に3〜4回は両親どちらかの通院のサポートが必要で、それは私が担当している。
先日も、母の眼科へ付き添ったばかりだ。
待合室で2人並んで座っていると、母がおもむろに言った。
「千円ちょうだい」
その言葉を聞いて、私はとても不機嫌になった。
千円を渡すのは簡単なことだけど、母と私の間ではお金の話は超超超!繊細なトピックであり、ここ数年、両親のお金問題の火の粉を浴びた私は、それを解決するために莫大な時間とエネルギーを費やしてきた。
なので、千円でも数百円でも、お金をちょうだいと言われることに過剰なまでに反応してしまう。
さて。反応した私が「何に使うの?」と冷たく母に言い放ったため、私たちはその場で喧嘩を始めてしまった。
患者さんたちであふれる待合室。そこにいる全員が私たちに注目しているのではないかと思うほど、待合室は静まり返り、私のヒソヒソ声と母の大きな声が目立っていた(ように思えた)。
周りからは何も言われていない。
しかし、「千円くらいあげたらいいのに」「そんな言い方しなくても」と言われているような気分だった。私は一刻も早くその場から逃げ出したかった。
「後でね」とか「車の中でちゃんと話そう」という私の言葉は受け取られることはなかった。
「安心できないから、ちょうだい。早く!!今!千円ちょうだい!」母の畳み掛けるような”ちょうだい攻撃”に耐えられなくなり、私は千円を渡した。
母が満足そうにその千円を財布にしまったタイミングで「⚪︎番でお待ちの⚪︎⚪︎さーん!」と母が呼ばれた。ぐったりとした私は、誰にも知られないようにため息まじりの深呼吸をした。
中待合室で検査の順番待ちをしていると、母が言った。
「千円ちょうだい」
驚愕である。
「さっき渡したよ」と言いながら、私はふと思い出した。
それは、母の生い立ちだ。
きょうだいが多い中の次女である母は、「私は親に目をかけてもらえなかった」とよく話していた。けれど、勉強や楽器の演奏が好きだった母は、それにかかる費用は惜しみなく援助してもらえていた。
母にとっては、お金=両親の愛なのかもしれない。
そう考えると、ちょっと切ないものが込み上げる。
お金を欲しがる言葉は、本当のところは私たちからの愛が欲しい、ということなのだろうか。
お金ではないところに視点を移すと、私の心にも希望が差す。
それなら、私にも反応せずにできることがある、と。
そう自分自身を勇気づけたい気持ちがありながらも、施設に着くまで10回以上繰り返されたちょうだい攻撃により、私は疲弊し切ってしまった。
このあと、NVCを知る友人(と言ってもリアルで会うのは初めてw)とランチの約束をしていたのだが、このタイミングでこの日に会ってくれることに心の底から感謝した。
夜。
事の顛末を我が娘たちに愚痴った。
すると娘たちは、少し前にショート動画で流行った、
「本当に申し訳ございま…千円ちょうだい。できれば二千円ちょうだい。」
というネタを私の前で披露した。
そうか。
これを脳内再生すれば、ちょっとは空気感を変えて会話できるかもしれない。笑
次の診察日。もし”攻撃”が始まったら、脳内再生をしてみよう。
ユーモアによって、心にスペースができるかもしれない。