今更ながら僕がセレッソ大阪のサポーターになった経緯を説明してみる byうっちぃ。
セレッソ大阪サポーターのうっちぃです。
代表サポ、そして札幌サポとして有名な村上アシシさんが「今更ながら僕がコンサドーレのサポーターになった経緯を説明してみる 」という記事を書かれていました。
サポーターになった経緯を書くって面白いなと思ったのでぼくも書いてみます。
はじめてのサッカー生観戦がセレッソ大阪
ぼくが初めてセレッソを見たのが2001年のJ2降格した年でした。
当時ぼくはゲーマーとしてゲーセンに通ってまして、バーチャロンというゲームで全国大会に出るぐらいゲームばっかりやってました。
ある日ゲーム仲間のみやくんが「サッカーのチケットとパン貰ってんけど試合見に行かん?」というなんともざっくりした誘いをしてくれて、ナイトゲームの長居スタジアムに足を運んだのが最初の観戦でした。
ぼくのサッカー知識は漫画「キャプテン翼」と「サカつく」というサッカークラブを作るゲーム。
リアルなサッカーについての知識は全然無くて、生のサッカーを見た最初の感想が「キャプテン翼みたいに1人ドリブルで何人も抜いていくスポーツとは違うんか」でしたw
キャプテン翼はまじで1人で何人も抜いてシュートまで持っていくので、サッカーってそんなイメージだったんです。
長居スタジアムに通い始めた2003年
2002年と言えば日韓ワールドカップです。
もう日本中がサッカーフィーバーで、ぼくもサッカーの知識が無いなりにめちゃくちゃ楽しめたし興奮しました。
そして家から一番近いスタジアム、かつ一度試合を見に行ったセレッソの試合に翌年から通い始めました。
当時は現社長のモリシだったり、西澤明訓や若手エースの大久保嘉人などなど個性の強い選手が揃ってて知識がなくてもめちゃくちゃ興奮しました。
ピッチを縦横無尽に走る心臓2個ついてるんちゃうんかってぐらい走るモリシ。
何人に囲まれてもボールキープしつつ、浮き球をもの凄い処理でボレーシュートする西澤。
もの凄い勢いでゴールに突っ走って得点しつつ、いきなり退場し出す嘉人さん。
お酒を飲みながらバックスタンドでセレッソの知識が無いなりに勝ち負けで一喜一憂していたのでした。
2005年J1最終節の話
セレッソの歴史の中でも忘れられないのが2005年J1最終節の話。
たぶん、この時の悔しさがぼくをサポーターって呼ぶレベルまで引き上げてくれたんだと思います。
最終節を前に勝ち点2以内に5チームがひしめく大混戦。
セレッソはそのとき首位で、最終節に勝てば文句なしのリーグ優勝でした。
そして結果は、2度のリードを奪いながらも後半ロスタイムに同点弾を喰らい、残り4チームは勝利してまさかの5位転落。
涙もでない悲しさで、試合後は呆然としていて、1ヶ月ぐらいはスポーツニュースなんて見れなくて。
2006年のセレッソ降格
それでも翌年は「去年あれだけやれたんだから優勝を狙える」と思ってました。
きっとみんなが。
でも序盤からまったく噛み合わずにぼろぼろに。
サッカーの知識が無いぼくはなぜ噛み合わないかも分からない。
やれることは応援することだけでした。
当時のぼくはもの凄くピリピリしていて、ほんとに胃を痛くしながらスタジアムに足を運んでいました。
胃が痛くても、でもスタジアムに足を運ばないとだめと思って足を運び続けてました。
そして最後は降格。
主力だった大久保嘉人、西澤明訓などチームの顔だった選手が退団していきました。
ずっと好きだった選手が抜けていき、他チームのユニフォームを着るその選手の姿にくやしさを覚え、それでもセレッソ大阪を応援し続けなければならないという気持ちはぼくの中にあり、きっとあの頃には完全にサポーターと呼べる存在になっていたんだと思います。
サポーターは一人では応援できない
このあと香川真司や乾貴士という新たな顔が生まれたり、J1に昇格したりと色々なことがあったんですけどその話はまた今度書くとして、ぼくが「サポーターって縁を繋いでいかなければ駄目なんだ」って思ったのが2008年ACLのアウェー全北戦でした。
当時セレッソは初出場でACLで決勝トーナメントまで進んでおり、もしかするとアジアのタイトルを取れるかもしれないという期待をセレッソサポーターみんなが持っていました。
そして韓国でのアウェー戦。
ぼくは海外旅行の経験もほとんどないのに妻と韓国に。
韓国語どころが英語も全然出来ない中、セレッソ大阪の有志の方が用意してくださったバスに乗り、その有志の方に助けてもらいながら全北のスタジアムへ。
たぶんぼくら夫婦だけだったらスタジアムに着くのも難しかったかもしれません。
海外経験の無いぼくらにとってACLアウェーっていうのはほんとに心細いものでした。
でもバスに乗りながら、これだけたくさんの仲間が居たんだと改めて気付いたんです。
顔はちょっと知ってる人、知らない人。
ただ、みんな長居スタジアムでセレッソ大阪を一緒に応援してきた人。
そんな仲間たちとスタジアムに乗り込みました。
結果は惨敗。
セレッソのACLの挑戦はそこで終りました。
ただ、そのバスを用意してくださった有志の方の言葉が今でも頭に残ってます。
「サポーターもサポートしたいと思って用意したんです」
その言葉で気付いたんです。
「サポーターは一人では応援できない。サポーターは繋がりが大事。もっとセレッソサポーターの縁を繋いでいかなければならない」
Twitterのうっちぃの話
ありがたいことに2020年の今、ぼくのツイッターフォロワーは3000人を超えています。
ぼくの今のツイッターはセレッソサポーターを増やすこと、セレッソサポーターの役に立つことを呟くこと、そしてセレッソサポーター同士が繋がっていくきっかけになることを書くこと。
その想いで続けてます。
フォロワーも3000人も超えるとありがたいことにツイートを見てもらえる数も多くなり、スタグルの話をすればそのお店に人が集まってくれるし、メディアでセレッソのことやるってツイートしたらみんなが見てくれたり。
試合当日はスタジアムのここでこんなイベントやってるとか、何か発見があったらリアルタイムでツイートします。
試合以外の日でもイベントがあったら少しでも早く駆けつけてツイートします。
セレッソのスタッフの人に「それ広報の仕事じゃないですかw」と言われたこともw
もし自分が行けないイベントだったら行ってる人のツイートを見つけてリツイートします。
とにかくセレッソの話をつぶやきます。
ぼくもサポーターのサポートがしたい。
ACLで感じたあの時の気持ちを大事にして、今もSNSで実行しているっていう感じです。