【地獄のフライト】「お客様のなかにお医者様はいらっしゃいませんか」飛行中にドクターコールをしたのは私です。
貴方は今まで飛行中に死にそうになった経験はあるだろうか。私はあります。w
今日は飛行中にドクターコールをする事態になった一部始終を綴っていきたいと思います。
あれは数年前の事。このパンデミックが起きるまで、私は定期的にお肌のお手入れをしに渡韓していました。
大体、母と行くか友人と行くのだが、この日は友人と3人で渡韓する事になった。
私たちがいつもしているお肌のお手入れは、レーザー治療。
エステで受けるレーザー治療とは違い、剣山のように針が沢山ついた物を顔にサクンサクン‼️とひたすらに刺していく拷問のような治療である。
ご想像の通りめちゃくちゃ痛いのです。もちろん麻酔クリームは塗りますが、本当に麻酔塗った?ってくらいに私にとっては激痛でした。
私はビビりな上に痛みに非常に弱く、以前やった時も、痛すぎてもう次はやらないかもしれない‥‼️
と呟いたくせに、あまりのリフトアップ効果が癖になり懲りずにまたやりに来たのである。
でもやはり直前になると、ビビりまくり、なんとか拷問に耐え治療を終えるも、あまりの痛さに私はストレスマックスとなっていました。w
(ちなみに友人たちは耐えられるレベルの痛さと言ってました。大体の人は耐えられるレベルの痛さですw)
韓国の美味しい料理を堪能し、ショッピングも楽しみ、私たちは帰国するため空港に向かいました。
途中、友人が食べきれずにテイクアウトしたヤンニョムチキンを
『機内に持ち込みたい!
それが無理ならヤンニョムチキンだけ預け入れ荷物として預けさせてくれ!』
という暴挙に出たために
添乗員さんと一悶着あったが、どうしても美味しいヤンニョムチキンを捨てたくない!と言う友人の熱意に負けたのか、
もう勝手に持ち込んでくれ!知らん!と、呆れ気味に快諾してくれたお陰で、なんとか無事、ヤンニョムチキンと共に飛行機に乗る事が出来た。
飛行機に乗る前に美味しい韓国料理を食べ過ぎたのか。
シートに座ってから私は少し気持ちが悪くなってきました。
そんなところに、機内食がまわってきたのだが匂いで余計に気持ち悪くなり一口も手を付けずに私は一眠りする事にした。
しかし、眠ろうにも気持ち悪くて寝付けない。
しばらく気持ちの悪さに耐えていると、後30分後くらいで日本に着陸するアナウンスが流れた。
あぁ、あともう少し!耐え抜こう!
そう考えていたところ、なんだか少しずつ足の先が痺れてきた。
なんだろう?と思っていると、今度は少しずつ手の先が痺れてくる。
これは一体‥?
まぁ、そのうち治るだろう。
気持ち悪さと謎の手足の痺れに耐えていると、なんと段々と全身に痺れが回ってきた。
そして、あまりの痺れに私の手足は動かなくなり、一気にパニックに落ち入りました。
『苦しい!手足が動かない!』
両脇にいた友人も私の異常さに気付き、一緒に大パニック!!
まるで、全身丸ごと大きな袋に入れられた後、少しずつ空気を抜かれて全身が真空パックされて締め付けられていくような感覚でした。
さらにこの痺れはどんどん下から上昇し、首の方まで迫ってくると、今度は舌まで痺れてきた所で私は叫びました。
『息が出来ない‼️‼️苦しい‼️‼️‼️』
もう、本当に死ぬかと思いました。舌べろがどんどん硬直し、私の気道を塞いでいくようで、呼吸が出来なくなってきたのです。
ここで添乗員さんも異常に気付き、ついにあのアナウンスが流れる事になったのである。
『飛行機の中にお医者さまか、看護師の方はいませんか?』
あぁ、これでお医者さんか看護師さんが駆けつけてくれて、なんとかなるかもしれない‥
パニック状態の中、名乗り出てくれる人を待っていると、ANAの添乗員さんが駆けつけてくれました。
見つかったのか‥?
『残念ながら、この飛行機には医療従事者の方はいらっしゃいませんでした。』
い、いなかったぁーーーー‼️‼️‼️
あ、もう、私死んだわ。皆さんさようなら。割と短い人生だったけど今までありがとうございました😇😇😇来世でまた会おう!
その時である。
『大丈夫ですか?苦しいと思いますが、ゆっくり、ゆっくり、少しずつ、深呼吸をしてみてください。』
前の座席に座っていた男の人が、声をかけてきたのである。
私は意識朦朧とする中、苦しいながらもゆっくりと深呼吸をするように集中した。
しばらく深呼吸を続けると、なんと少しずつ痺れが治ってきたのである。
呼吸もできるようになり、身体がほぼ元通りになった所で、日本に到着したアナウンスが流れた。
た、助かった‥‼️‼️
私はその男性に必死にお礼を言うも、男性は飛行機を颯爽と降り立っていきました。
私は、飛行機の添乗員さんに車椅子に乗せられ、本来なら入国審査や税関チェックをしなければならない所、全てすっ飛ばし到着ロビーまで運んでいただいた。
既に救急隊員の方も到着しており、確かこの時血圧などを測定された気がする。
救急隊員の方には、現状は特に異常は無いが、念のためこの後病院に行き検査を受けた方が良いと言われたがお断りした。
え?アホなのかって?
だって韓国で拷問を受けた後に、さらに飛行機でも瀕死の状況に落ち入り、またこの後病院で拷問を受けるなんて、もうメンタル的に無理だったのだ。
家で一旦休んでから考えます‥
心配する救急隊員の方をよそに、私は友人と帰宅する事にした。
本当に、あの時助けてくれた男性の方、添乗員の方々、救急隊員の方、介抱してくれた友人には感謝してもしきれない。
この場を借りて、感謝申し上げます。あの時は命を救っていただいて本当にありがとうございました。
そして大変なご迷惑をおかけし申し訳ありませんでした。
その後、特に体調に問題はなく過ごした私だったが、
飛行機の事を考えるとあの時の恐怖に囚われてしまい、
こりゃあ海外に行けるのに数年はかかるな‥しばらくは飛行機は乗れない。
そんなふうに考えていた。
その数ヶ月後‥
私は何事もなかったかのようにまた飛行機に乗るようになっていた。
ちょっと頭のどこかがおかしいのだと、思っている。
そして、あの時助けてくれた男性はきっと鱗滝左近次だったのだと思う。
確か天狗のお面もしていたような気もする。