生きる意味などない-ならば探し続ける旅に出ようじゃないか-
生きる意味などないらしい。
しかし
生きるために人は働くらしい。
しかし
生きる意味などないのだ。
ということは
生きる意味を失えば働く理由も失うし
働く気力がなくなれば生きることも困難になる
それじゃあ困るから、人はみな生きる意味を後づけする。
ある人は、苦しみを避ける人生を
ある人は、趣味のスポーツにかける人生を
またある人は、家族を養うために働く人生を
10人いれば10通りの
それぞれの人生を歩んでいるらしい。
じゃあ、私は?
私にとって生きる意味ってなんだろう。
ある日突然涙が溢れた。
悲しい理由が分からなかった。
でも
楽しいと思える要素もなにもなかった。
そして気づいた。ああ、これは生きることそのものに対する失望の涙だ。生きる意味が分からない。生きるのがつらい。
「生きる意味ってなんですか?」
と、いろんな人に問いたくなった。だから問うてみた。
学生時代からお世話になっているある先輩はこう言った。
「生きる意味などない。だからそれを探し続けるのが人生なんじゃない。」
目から鱗だった。
「生きる意味はないけど死ぬ理由もない。…まあ、とりあえず楽しいこと考えよ!」
とアッサリ言い放ったのである。
そうか…
生きる意味?そこにないならないですね(某100円ショップ風に)、では済まないのが人生なのだ。
ないから探す。ないなら探せばいい。
単純だし当たり前なのだけれど、私は内心
「探しても見つからないから困ってるんだい」
と思った。けど。
「探し続けるのが人生」
ここに私は目から鱗が飛び出たのだ。
そうか…
探し続けることそのものが人生なのか。
生きる意味を探し続ける。それ自体が、 今ここを生きる意味なのだ…。
そう思えたら、なんだか少し肩の荷が降りた気がした。
生きる意味がない=生きるのつらい嫌だ としか思えなかったが、生きる意味を探し続けるという生きる意味を得て、なんだそれなら自分にもできそうだ、人生もうちょいがんばれそう、と勇気が出てきたのだ。
まさに水を得た魚である。
だから私は今日から、生きる意味を探す思考の旅に出ることにした。
旅という名の人生だ。
また、先輩はこうも言っていた。
「楽しいことでも考えよ!」
私は内心
「楽しいことがないから困っているんだい」
と思った。けど。
生きる意味を探す旅に出ると決めた、今日この夜。
楽しいことなど今は考えられないけれど…ならせめて、自分の思考の軌跡を残しておこう。これは旅。旅(人生)の記録を残すことをせめてもの生きる糧にしよう…。
ふとそんなふうに思い立った。
わたしは元々書くことが好きだった。
そして、1年くらい前に存在を知ってからずっと、いつか書きたい、発信する側になりたい、と密かに野望を抱いてたこのnoteのことを思い出した。
思い立ったが吉日。すぐに登録して筆を取り、今に至るというわけだ。
あ、筆を取り、というのは言ってみたかっただけで、実際はスマホでフリック入力しているよ(どうでもいい情報)。
というわけで、今日から、生きる意味を探す旅の記録を……なんていうのは少し盛りました。
そんな大げさなものじゃなくていい、そんな立派なものじゃなくていい。
ただ気まぐれに、生きた証を、書きたいことを書きたいように、書き残していこうと思います。
「生きる意味などない?ならば、今から探し続ける旅に出ようではないか。」
to be continued …
では今日はこのへんで!