山の間で古本屋をはじめて一ヵ月が経った。27歳の春をとりこぼしてしまった。
先月、4月28日(良い庭の日)に古本屋「庭文庫」を開店させた。
3年前の今頃は、東京で働いていた。残業代の出ない会社だったから、必ず6時に帰ると決めていた。そう決めた結果、就業中はわき目もふらずにメールを打ち、電話をかけ、資料をつくり、7時に家に着くと何もできないくらい疲れていた。残業はしないかわりに、1日のエネルギーをすべて会社で使い果たしてしまっていた。
たまの楽しみは、通勤路の花を見ることだった。さくら通りを歩いて帰った。紫陽花が咲くと嬉しくなった。梅の木が切られると悲しくなった。街路樹でしか季節を知ることができなくて、いつももやもやしていた。
今住んでいる岐阜へ引っ越してきた理由はいろいろあるけれど、一番は四季を素通りしない日々を送りたかったのだと思う。春には春が、夏には夏が、秋には秋が、冬には冬が、体に染み込んでいくように暮らしてみたかった。
古本屋「庭文庫」をはじめたのも、きっとそういう理由なのに、オープン前から今まで、目の回るような忙しさで、人生に一度しかない27歳の春をわたしは取りこぼしてしまった。
最近、「しょうがない、しょうがない」と心の中で言い聞かせている。
「今が大事だもん。今やらずに、いつ頑張るの」とはっぱをかける。
もうそれも限界に来ている。そもそもハードワークが向いていない。無理だ、本当に無理だ、と心の奥で思いながら、それを言葉に出してはいけないような気がしていた。
だから、このnoteを書いている。受け止めることのできないものを、受け止めることができるように。
色んな人の後押しがあって、庭文庫は開店できた。有難いことにテレビや新聞の取材も来てくれた。
疲れた、と言ってはいけないような気がした。夢をかなえる一歩を踏み出したのだから、きらきらと明るくそして楽しくやり続けなくてはいけない、というどこかで思っていた。
もうやめようとおもう。自分に何かを課すことも、無暗に焦ることも。
オープンして、約1ヵ月。金土日月しか開けていないから、昨日で開店14日目を迎えた。たぶん少なく見積もってもオープンから200名くらいは来てくれた。それを、嬉しい、と思えないのは、これがどんどん増えていくと、もっともっと疲れてしまう、とどこかで感じているからだ。
お客さんは来てくれたほうがいい。古本も売れた方がいい。取材も受けた方がいい。店主は笑っているほうがいい。でも、無理を通しては、手のひらから何かが零れ落ちてしまう。
今のところ、古本屋だけでは食べていけないから、平日は市役所の臨時職員として働いている。余裕を持つために市役所で働いているはずなのに、なんだか首を絞めている。市役所からの帰りにツイッターやFBやインスタで「庭文庫」と検索して、一喜一憂している。
はやく売り上げを安定させなくては、はやくはやく、と気ばかり急いて、なんだかそれだけで疲れてしまって、結局は何もやれない。
これを続けると、美しい自然たちは、目の端に入る青や緑にしかならなくなる。美しいものを、美しいと思えること、楽しいことを楽しいと思えるには、休息と美味しいごはんと心の余白が必要なことは一番わかっていたのに。その心の余白をつくりたくて、古本屋をはじめたのに。
古本屋「庭文庫」は、再来月結婚する百瀬と一緒にはじめたお店だ。「楽しくやる」って固く決めていたはずなのに、オープン一ヶ月目でその決意を忘れていた。
今一番考えるべきは、「どうやってお客さんを増やすか」「どうやって売上をあげるか」ということ以上に、「どうやって無理なく楽しく続けていくか」ということだ、とわかったオープン1ヶ月目。
とりあえず今日はお家で魔女の宅急便でも見て、あたたかいお風呂に入って、はやく寝よう。
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