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「純情 梶原一騎正伝」
「純情」梶原一騎正伝 小島一志
「空手バカ一代」連載中の極真空手の人気はすさまじいものでした。
その冒頭には
「事実を事実のまま
完全に再現することは
いかにおもしろおかしい架空の
物語を生みだすよりも
はるかに困難である ---
(アーネスト・ヘミングウェイ)
これは事実談であり・・・
この男は実在する!!
この男の一代記を 読者につたえたい一念やみがたいので
アメリカのノーベル賞作家ヘミングウェイのいう「困難」にあえて挑戦するしかない・・・
わたしたちは 真剣かつ冷静に この男をみつめ ・・・ そして その価値を 読者に問いたい」
という言葉が書かれているゆえに当時の無垢な少年たちはこの物語がノンフィクションだと信じて疑いませんでしたが、実はそのほとんどが梶原一騎の創作であり、あまつさえ、このヘミングウェイの言葉も梶原の創作であったと私は思っています。
私が極真に入門した時は既に社会人でしたが、以前は他流派の空手をやっていました。入門初日の基本稽古(突きや蹴りを何十種類と反復します)で、その実戦性というか合理性に驚きました。その時に言われたのが、「基本動作は全て一挙動!面ではなく点を攻撃しろ!点を中心として円を描く、線はそれに付随するものだ!お前たちはケンカに強くなりたいんだろう!」でした。
道場はミナミの繁華街、道頓堀や宗右衛門町の近くの地下にありましたが、後年、許永中の所有するビルのフロアに移転しました。向かいには韓国民団がありました。移転の理由は近くに暴力団事務所が点在して道場としてふさわしくないということでした。
道場責任者兼指導者は大山倍達の長女の娘婿で、結婚して29歳で空手を始めたそうです。やっかみがあったのでしょう。稽古中にしみじみとこう言ったことがあります。
「悪い先輩がいてな、池袋の総本部に入門した時に三戦立ちの立ち方が悪いと、金的を思い切り蹴られたことがあったよ」
それを聞いて、小せえ先輩だなあと思ったのですが、それはさておき。
梶原の遺作の自伝作品「男の星座」も大部分がフィクションでしたが、彼自身の経歴も虚偽に満ちていました。
梶原の極真空手黒帯は名誉段であり、空手も柔道もスポーツの経験もなかったといいます。「巨人の星」で大ヒットを飛ばしますが、連載当初は野球の知識もなかったそうです。
ただ、後年の梶原一騎スキャンダルにあのような純粋な物語を書く作者と事件とを結びつけることの困難が長年、私の中に疑問としてはありました。しかしその理由こそが虚偽であったとしたら。
「人間凶器」「カラテ地獄変」などのダークな作品は実弟の真樹日佐夫が書いたものでした。
最後に「純情」という著者がつけた題名の意味を理解することになります。私は小島一志の一連の著書をほとんど読んでいますが最も感銘を受けたのがこの作品でした。
梶原一騎原作の「愛と誠」で誠が上半身裸で鉄棒に両手を縛られ、ベルトで打たれた傷口に塩をかけられるというリンチを受けます。苦痛に声を上げる誠に女首魁者が悪魔の取り引きを持ちかけます。
「もしここにいる愛お嬢様を身代わりにしてくれと言えば、あんたを放免してやる」
喘ぎながらも誠は
「恩を着せながら借金を返すやつもいねえ。俺の悲鳴が聞こえねえよう、彼女を遠くに引き離してもらおう」
それを聞いた早乙女愛のモノローグ。
「これほど誇り高い男の言葉を二度と再び自分は終生聞くことはあるまい。人間は孤独と苦痛に弱いもの。苦しむなら同情が欲しいもの。それすらこの若者は拒否した」
というシーンを思い出しました。
あとがきに「SNSの友人たちも、参考になると思える資料を探し出すと次々に送ってくれた」とあり、参考資料・文献の項にそれが記載されています。私も送らせていただきました。「妻の道〜梶原一騎と私の二十五年」と「梶原一騎、そして梶原一騎」の二冊ですが、著者から「(『妻の道』の著者の高森篤子が)薬物から更生したことは書いてありますか」
というメールが来たので「え?」っとなったのですが、本書を読んで納得したのです。
文中にある、「精神科医が梶原を典型的なADHDであり高機能性自閉症と見立てたように、梶原は一つのことを熱く、そして長く想い続ける過集中と共依存の傾向が強かった。あくまで純粋性という意味で、梶原には徹底した一途さがあったと私は確信する。」
この言葉が50歳でその生涯を閉じた梶原一騎を的確に表しているのではないかと思います。