同志少女よ、敵を撃て
第二次世界大戦の独ソ戦。ソ連が唯一前線で戦う女性兵士を生んだ理由は何だったのだろうか。
モスクワ近郊の農村に生まれた18歳のセラフィマはドイツ軍によって母親を惨殺される。
彼女は復讐のために狙撃兵になった。
本書では独ソ戦の転換点となったスターリングラードと要塞都市ケーニヒスベルクでの攻防がメインになっている。
悲惨でない戦争というものはない。セラフィマも極限状態の最前線に送り込まれる。
実際にソ連女性兵士が従軍したのは100万人近くだ。
女性が戦場に赴き、戦う意味を著者は問う。
戦後スターリングラードはヴォルゴグラード、東プロイセンのケーニヒスベルクはロシア連邦となり、カリーニングラードと名を変えた。
年月は否応なく過ぎていき、人は歳をとり、戦争は風化してゆく。
最終章を読み終えた私は呆然とし、その余韻は今なお続いている。
憎しみ、戦い、愛するということ。
本書はロシア・ウクライナ戦争とスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチの『戦争は女の顔をしていない』を契機にして書かれたことは明白であり、第11回アガサ・クリスティー賞を史上初の選考委員全員が最高点をつけて受賞した。
著者は1985年生まれ。本書がデビュー作とは信じられないほどの力作であり、慟哭の書である。