ケアンズへの道17
ホームレスのいる交差点にちょうど二階建てバスが左折してきた。イベント用の天蓋のないバスで大学生と思しき若者が盛り上がっている。
一人の男子学生が二階からホームレスを指差して
「Hey、You're my brother!」と言う。
娘は「一瞬で兄弟になったで!」と大受け。
夜の道をゲストハウスへと帰る。
入ったことのない、いつものベトナムレストラン。
この角を曲がったら何度も行ったwoolworths。既に閉まっているけど、もう訪れることもないだろう。ケアンズは小さな街だから半日もあれば、全てがわかるという。でも全てがわかると言うのは傲慢だ。
たったの二日間だけど、濃密な時間だった。
ゲストハウスの近くに来た時、娘が「この通りを歩いてみよう」と言う。普段は慎重で怖がりな娘が?と思ったが、裏道を歩いてみる。街灯はなく、暗くて不気味な感じだ。なぜかどこからか動物の鳴き声のようなものが聞こえる。
帰国してからネットでケアンズの危険エリアを調べてみると、以下のことが書いてあった。
まさにわれわれが歩いた通りだ。
「特に注意が必要なのは、ケアンズセントラルの裏側にあるブンダストリート。街頭が少ないため、夜は薄暗くなり、殺傷事件・窃盗・暴行・性犯罪が報告されている場所となっています。」
翌朝、パッキングというかリュックに服や充電器などを詰めるだけだが、それを終えて娘を早めに起こす。
ドアに近い(つまり共用トイレに近い。頻尿なので)シングルベッドに私が寝て、ダブルベットは娘に譲っていた。
シーツを丁寧に畳んでいるので、「そのままでいいよ」と言うと、「日本人が悪く思われないように」と言う。これには感心した。子どもは親の教師みたいなものだ。
7時半にチェックアウト。外に出ると日差しが強い。
エスプラネード方面に向かって歩く。最後は地元で人気のカフェに行くことにした。
ケアンズ港に面した「Wharf One」。
犬を連れてきている人も多い。ひっきりなしに客が来る。それを見ているとオーストラリア人は人生を楽しんでいるなあ、と感じる。
注文したのはスムージーにフルーツボウルとアボカドトースト。しかし量が多い。メニューに14歳以下がオーダー可能のキッズプレートを見つけたのはそのあとだった。
昨夜オージービーフを食べたのであまりお腹は減ってないが、頑張って食べる。私は食べ物を
残すのが何より嫌いなのだ。トーストは半分機内で食べることにして、リュックに入れる。娘はこれだけ食べて、と言うので上に乗っかっているオレンジを食べる。もうお腹は、はち切れんばかりだ。まだバナナやキウイやアサイーが残っていて、底にはシリアルが鎮座している。
娘はゆっくりと時間をかけて口に入れていく。
「無理に食べなくてもいいよ」と言うが、「残すのは悪いから」と言う。
フライト時間があるので10時半にはカフェを出なければならない。娘はそれから1時間かけて食べた。平成生まれなのに天晴れだ。
カフェを出て、歩いていると「口の中にあるものを吐き出したい」と言うので、そこの草むらに吐き出したら、と言ったが「いやだ。トイレで出したい」。
娘は妻の家系の高貴な部分を受け継いでいるんではないかと思うことがある。私の家系にはやんごとなきご先祖様は一人もいないのだが。
カジノを併設した高級ホテルでトイレを借りる。長い間出てこなかったので聞くと「水が止まらなくなった」。
ゆるせ、高級ホテルよ。ゆるせ、オーストラリアの人々。もう空港に行かねばならんのだ。旅の恥はかき捨てか。最後にケアンズに汚点を残してしまった。
ウーバータクシーを呼んで空港へ。延々と続くサトウキビ畑を車窓から眺めていると感傷的になる。
ドライバーが聞く。
「ケアンズはどうだった?」
「娘が帰りたくない、永住したいと言っている」
空港には20分足らずで着いた。
「またケアンズに来てくれ」とドライバー。
またがあるのか。
「飛行機からグレートバリアリーフは見える?」
「いや、航路が違うから見えない」
関空に着くと「オーストラリアに帰りたい」と娘。
帰りたい、か。まるで故郷みたいじゃないか。
私はと言うと、大好きなスマッシングパンプキンズを聴きながら公園の前を通りがかると、一瞬ケアンズにいるような錯覚を起こす。
こうやって人は好きな国が増えていくのだろう。旅をした分だけ。
娘の海外への憧れは増していくばかりだ。
終わり