「ダーリンは71歳」西原理恵子とスマッシング・パンプキンズ
西原理恵子を尊敬するある漫画家が吉祥寺に行くと、つい西原先生がいないかとキョロキョロしてしまう、と何かに書いていた。実は私もたまに吉祥寺に行く時は井の頭公園で子どもとボートに乗るのを常としているのだが、やはり西原先生がいないかとキョロキョロしてしまうのだ。いくらキョロキョロしても見つけるのは志茂田景樹先生くらいなのだが。
「ダーリンは70歳」の続編だが、西原理恵子の読者ならよく知るように、破壊的な暴力性と情緒性が彼女の著作の魅力だ。
この暴力性、というか大衆文化的、いやもっとストレートに言ってしまえば、下品さがごちゃごちゃとした文字の羅列としてのエッセイマンガの混沌さと相まって拒絶反応を起こす人もいるだろう。
その一方で自らを客観的に、自虐的に暴露するような、漫画評論家の呉智英が言った「徹底的な自己否定は徹底的な自己肯定である。それはあたかも徹底した防火が実現すれば失業するのに、防火に力を尽くす消防夫のようなものである」という言葉を想起させるような、これでもか、というほどの露悪によって下品さが一転して、過激でありながら知的な笑いを生み出す。
裏表紙には
「71歳と51歳
おじいさんとおばさんの恋は
はたから見ると
ずいぶんと
可笑しいんだろな」
とあるが、私はこの言葉がたまらなく好きだ。
暴力性と情緒性を同時に持っている、と言って思い出すものは私が知る限り、唯一無比のロックバンド「スマッシングパンプキンズ」しかない。
作家、評論家そして極真空手の有段者である平岡正明は「山口百恵は菩薩である」
と言ったが、その顰みに倣えば、
「西原理恵子はビリーコーガンである」。