見出し画像

「ではまた、あの世で 回想の水木しげる」 大泉実成

「日本のマンガ家は9割の手塚系と1割の水木系からできている」といったのは漫画家の根本敬だが、言い得て妙だ。生家には手塚治虫全集があり、繰り返し読んできたが、水木しげるの漫画は見るからに暗くて敬遠していた。
最近になって、長年取り組んでいるファミリーヒストリーを書くために故郷の先輩、水木しげるの自伝や評伝を読み漁った。その一冊である本書は大泉さんが発表した文章をまとめ、書き下ろしを加えたものだ。
ある時、大泉さんが書いたマレーシアの少数民族についての文章を読んだ水木は大泉さんと会って意気投合し、精霊探検のために共に世界各地へ出かける。その時に感銘を受けた大泉さんは自らを「水木しげる原理主義者」だと宣言した。しかし、この原理主義は自らの原理を徹底して、そこにはまっていくのはバカバカしいという逆説的な原理主義なのだ。これは彼がかつてエホバの証人の信者であったことと無関係ではない。
水木しげるは2015年に亡くなった。報せを受けた大泉さんは想う。「いつ会っても『社会の窓』が全開で、なんの虚飾もなく、本音の人。天衣無縫で、えらそうなことは一言も言わない人」
そして涙が止まらなくなる。
葬儀の時に大泉さんは水木夫人から「水木を楽しませてくださって、ありがとうございました」と言われる。それほど夫人からも信頼されていた大泉さんだが、終章を読んで驚いた。水木しげるが亡くなった年に大泉さんは一人息子を亡くしていた。
水木しげるは稀有な才能を持った巨人であり、人を惹きつけてやまない魅力の持ち主だった。本書はその魅力を余すことなく伝えている。読後、水木しげるはもうこの世にいないんだと思ったら涙が出た。
それでは、またね、水木サン。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?