『七帝柔道記Ⅱ』 立てる我が部ぞ力あり
15人の団体戦、一本勝ちのみ、場外なし、待ったなし。
旧七帝国大学のみで戦われる、寝技中心の異形の柔道「七帝柔道」。
その壮絶な世界に飛び込んだ主人公の青春を描いた前作『七帝柔道記』は、柔道の話でありながら誰もが共感する普遍的な人間ドラマと評され、各界で大反響を呼んだ。
その伝説の作品から11年ぶりの続編。
(本書の惹句から)
そのとき北海道大学柔道部は連続5年の最下位を喫していた。
何のために凄まじい稽古に耐えるのか。何のために戦うのか。勝って何があるというのか。
著者は稽古でボロボロになった膝を手術をするために入院する。執刀医に半月板を全部取ってください、と言う。
「柔道を引退したあとのほうが人生は長いんですよ」
と執刀医が言うと、
「その後なんてどうでもいい」と声を荒げる。
ただ勝利すること。それが全てだった。要領よく生きることとは無縁の柔道部員。
愛知県出身の著者は七帝柔道をやる、それだけのために二浪して北大に来た。
そして柔道部で激しい稽古を続けていくがゆえに仲間たちとの紐帯は強くなる。
著者は言う。「自分への悪口は許せても柔道部の悪口は許せなかった」
こんなエピソードがある。
ある柔道部員が辞める理由を医学部に転部するために勉強するので、と言う。受からなければ復部しますと約束する。彼は文科系なので理系の医学部には受からないだろうと他の部員は思ったが、彼は柔道部に復部したくない一心で猛勉強し、本当に受かってしまった。
四年生の著者は副主将、親友の滝澤は主将。
滝澤は一年生の時からみんなから「わがまま」と言われていた。
ある日二人は馴染みの店で酒を飲んだ。
滝澤が著者を外に連れ出す。
「今日の増田君は格好悪い。もう帰れ」
滝澤はいきなり著者を殴って言う。
「人前で好きな女の悪口を言うな。愚痴かあるなら俺に言え!俺が全部聞いてやるから他で話すな!格好悪い増田君は見たくない!」
滝澤という男はこういう男だ。ただのわがままではない。滝澤と著者が無二の親友なのもわかる。
サブタイトルにある「立てる我が部ぞ力あり」は「柔道部東征歌」の一節であり、勝利の凱歌である。果たして北大柔道部は凱歌を歌うことができるのか。
第一戦目の東北大との試合の時、北大の選手が相手の押さえ込みで「痛いっ」と声を上げる。肩が脱臼したのだ。後ろで見ていた前主将の和泉さんが「黙っとれや。馬鹿たれが」と言う。
痛いと言わず黙っていれば棄権負けにはされなかったからだ。凄まじい世界であるが、武道や格闘技経験者なら首肯できるだろう。
北大は果たして最下位を脱出できたのか。
七帝戦がおわり、秋。
著者は教務課を訪れ、いつも無愛想で威圧的な教務官の「ヌシ」に「七帝戦で引退したのでもうやることがなくなりましたので退学します」と告げる。
そのヌシは初めて相好を崩し、「昔は君みたいな北大生がいた。本物の北大生に会った気分だ」と教務課に招き入れる。
ヌシは言う。
「おい、みんな。今日この増田くんの送別会をやるぞ」と職員に声をかける。
「教養部中退なんだから教務課の職員で送別会をやるのは当然だ。大学の卒業式には出れないんだから」
誰かが拍手し始めた。拍手は広がり、部屋の中は拍手で埋め尽くされた。
私は北海道に行く機会があれば、まず北大に足を運ぶ。と言ってもまた二回だけだが、北大には二回行った。
『七帝柔道記』はそれほどの牽引力を有していた。
以下は著者の言葉。
どの社の編集者も鼻で笑って、草稿も読んでもくれなかった。
「そんなマイナーな話は本にできません。そもそも増田さんとその友達しか出てこないんでしょう? いったい誰が読むんですか」
あちこちで言われて落ち込んでいる私に手を差し伸べてくれたのはKADOKAWA(旧・角川書店)の編集者だった。スポーツ経験者である彼に一縷(いちる)の望みを託して草稿を渡すと、次の日「一晩で一気に読みました。こんなすごい小説は読んだことがない。読んでいる間ずっと泣いたり笑ったりの時間を過ごしました。ぜひうちで出しましょう!」と興奮した電話がかかってきた。
男気という言葉を言うと、ジェンダーレス教育を受けた平成生まれの娘は男も女も関係ない、男女差別だと言う。