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コーダってなんだ? ろう者とその子ども

コーダとは「Children of Deaf Adults」の頭文字を取った言葉です。つまり、ろう者難聴者の親を持ちながら、自分自身は聴こえるという子どものことです。
著者の父親は四歳で結核を患い、命と引き換えに聴力を失いました。母親は先天性のろう者でした。

両親は仲が良く、著者にも惜しみない愛情を注いで育ててくれました。

著者は小さい頃から電話や来客、病院や銀行、テレビの情報などを親の代理として伝達、交渉してきました。しかし思春期になるにつれ、ろう者である両親を恥ずかしいと思うようになります。
口話や筆談でも細かいニュアンスは伝わらず、
「どうして聴こえないんだよ!」と、言っても仕方ないことを何度も口にしては自身も両親も傷つけてしまいます。

ある時、手話を見たろう者から言われました。
〈五十嵐さんの手話って、お母さんの手話なんですね〉
この言葉に著者は気づきました。

「女言葉、男言葉と表現するのが正しいかどうかはわからないけれど、手話にも女性が使いがちなもの、男性が使いがちなものがあるらしい。また、指先を繊細に使っているかどうか、あるいは豪快な動きをしているかどうかによっても、印象が変わる。
その人はぼくの手話を見たとき、やや女性的であることに気づいた。それはすなわち、『母親の手話を見て育った』ということではないか。そう思ったという。
それを指摘されたとき、目頭が熱くなった。
これまで母のことを散々傷つけてきたし、手話を毛嫌いして遠ざけていた時期もあった。そんな自分が、意図せず、母の手話を受け継いでいたのだ。
ぼくのなかに母の手話が息づいているーー。
胸が一杯になっているぼくに、そのろう者は続けた。
〈五十嵐さんの手話を見ていると、お母さんに大切に育てられたんだなと思います。とても素敵ですね〉」

本書を読まなければコーダという存在も、その葛藤も知ることはなかったと思います。

「おわりに」で著者は書きます。

「もしかしたら、なかには『コーダなんて、自分の周りにはいないな』と思っている人もいるかもしれない。でも、コーダというのは、自らが打ち明けない限りは気づかれにくい存在だ。
だからこそ、これまで目を向けられてこなかったと言えるかもしれない」

2024年9月公開の映画「ぼくが生きてる、ふたつの世界」の原作です。

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