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自分の内側と、とことん向き合う <人生掘り下げの旅へ・・・ヴィパッサナー回顧録 2日目の衝撃>

知っている人は知っている、
知らない人は全く知らない
ヴィパッサナー瞑想。

今回の投稿は私が2016年に参加した
およそ2週間の瞑想合宿、2日目についてです。

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東京からの移動後、気持ちが落ち着かない間に夜が明け、
瞑想合宿の2日目が朝4時から始まりました。

深まった秋の朝4時は、もちろん真っ暗。
まだ夜の途中であります。

二段ベッドの上段で目覚めた私は
天井に頭を強打の洗礼を受け、
痛みも笑いも一人で消化。(沈黙を守っている間なので)

冷たい空気と夜の闇の中、
皆、時折白い息を吐きながら黙々と身支度を済ませ、
瞑想を行うホールに集まります。

人との会話が皆無になった時、
日頃、どれだけたわいもないことでも
誰かと共有し、それに幅や深みをもたせているかを
身をもって知りました。

そして、私の場合はこの沈黙がきっかけで
内なる自分との対話をするようになります。
頭の中で自分に問いかけ、自分で考え答える。
常にその状態が行われるようになりました。


瞑想が本格的に始まってすぐに、
大きな気づきが待っていました。

それは、
自分の股関節の硬さ(笑)

私は蓮華座に座ることが出来ません。
幼少のころ、バレエや器械体操をしていたとは
想像もできない身体の硬さです。

ヴィパッサナーでは、瞑想ホールに
すべての参加者用の基本クッションが
事前にセットされています。(ありがたい)

座る場所は固定です。
いつも同じ場所に座る。

瞑想第一回は、周りの人を見よう見まねで
基本セットで慣れない(出来ない)
蓮華座に挑戦。

案の定、あっと言う間に
足の痛みに襲われました。

その後9日間、
私は瞑想の時間、自分のベストなクッション配置に
迷走することになりました。

ヴィパッサナー経験者や、
知り合いに参加した方がいる人の中には、
マイクッションを持参している方もいました。さすがです。

この、クッションとお尻の接地面と
足の関節の痛みをいかに緩和出来るかが
瞑想を順調に行う鍵となると言っても過言ではありません
(私の個人的見解ですが)

クッションを増やしてみたり、
縦に積んでまたがってみたり、
一人に1枚支給される毛布を
折り畳んで重ねてみたり試行錯誤を無言で続ける私を
後ろに座る仲間たちの何人かには楽しんで頂けていたようです
(「最終的に乗馬スタイルになってウケた」と
合宿最終日に聞きました)


瞑想1日目での大きな気づき。

それは、
「今ここに生きる」
「今ここに精神を集中する」ことが、
どこまでも出来ていない自分に気づいたこと。

私たちの心は、
一瞬の安定性もなく
あっちへふらふら、
こっちへフラフラしているんです。

では、どこにフラフラしているのか?

それは、
過去か、未来かのどちらかです。

私の場合、
呼吸を観察することを開始するや否や、
過去を思い出してそっちに心が飛び、

かと思えば、仕事のこと、家族のこと、
瞑想合宿が終わる日のことなどを考え始め
未来に心が高速で飛んでいく。

この事実、本当に驚愕でした。

私、一瞬も「今ここ」にいないではないですか!

私たちが「今ここ」と思い込んでいるのは、
実は後悔や、恍惚を思い出せる過ぎ去った過去や、
何が起こるか予測のつかない未来なのです。

あなたはどうですか?

気が付けば過去や未来のことを考えていませんか?

それは、「今ここ」ではないのです。

私たちは過去に戻ることも出来ないし、
未来を先に経験することも出来ません。

私たちがいられるのは、
常に今ここ、現在でしかないのです。

今、現在をどれだけ体感し、
見つめることが出来るのか、

そして、
今自分が手にしている現在は、
過去の積み重ねの結果なのです。

先のことを考えて、
今行動をなかなか起こせないこともあります。

現在の状態は、
過去の積み重ねの結果。

自分が望む未来は
今、この瞬間からの
現在の積み重ねの結果です。

そして、未来という開花、
実りを望む時、

大事な鍵があります。

そのお話は、また今日以外の別の日に。


ヴィパッサナー瞑想。

私にとってそれは、
長時間に耐えうる座り方の発見と、
クッション配置への工夫、
そして、
フラフラする心を
今ここに引き戻し固定させることを含めた
1日9時間半の挑戦。

会話という楽しみが断たれた9日間の私の楽しみは、

菜食の食事(朝と昼)、
朝のコーヒー、
休憩中のほうじ茶と水のブレンド、
夕方の果物(夕食の代わり)
見上げる夜空、
雨音、
朝一の瞑想中になり始める、
みんなのお腹の音(笑)

特に、コーヒーが用意されているのは予想外だったので
本当に嬉しかった・・・・(紅茶もありました)
CMのように「ほっとしました」。

そういえば、毎日必ず瞑想中に
何か疑問が生まれていたことを思い出しました。

そして、その答えが
必ず翌日の夜の講話の時間にもたらされるという
ありがた驚きの経験につながります。

2日目の夜のこと、
会話出来ないストレス、
足の痛み、
苦手な虫(大量のカメムシ)へのストレス、
家族へのホームシックがミックスされて
布団の中で大パニックに襲われました。

外に飛び出て
「うおーーーーーーーーーーっ!!」と
叫び、逃げ出して東京まで帰りたい衝動です。

頭の中は自分との会話で大騒ぎ、
心はその思考の乱れでバックバク。

「絶対明日、帰ってヤルーーー!」
と心に決め、疲れ切って寝てしまい目覚めた翌朝・・・・

どうしてか一点の曇りもない空のように、
心がスッキリしていたのです。

スッキリで穏やか。

こんなこと、
今までの人生で初めてでした・・・

そして、
「いや、もう1日頑張ろう」と
穏やかに思えたのです。

こうして、衝撃の2日目から
無事に立ち直ったのでした。

ヴィパッサナー瞑想が始まると、
潜在意識の中にある感情が
どんどん出てくるようになります。

そして、その感情の嵐に翻弄されます。

大事なのは、
俯瞰して、冷静に、
この感情を見つめること。

こうして、
潜在意識の中がクリアになっていくのです。

心がクリアになっていく中で
どんどん湧いてくるようになったのは
「感謝の気持ち」でした。

あらゆる人、
あらゆることへの
感謝の気持ち。

大袈裟ではなく、
感謝の気持ちに涙が止まらない夜も
何度かありました。

この合宿で私が気づいた事実の一つ、
それは、
私がいかに家族を大事に思っているかでした。

これは意外でした。

会いたい、
話したい、
連絡したい、
そう感じる時、
浮かんでくるのは家族の顔。

これは、本当に貴重な気づきでした。

家族をないがしろにするタイプだったので(笑)

余談ですが、
3日目夜の講話で
「2日目の夜、
逃げ出したいと感じた方もいたことでしょう」
と言うフレーズが出てくるのですが、
その一人にもれなく当てはまっていた私。
もっともベーシックな現象に陥った私でした。

こうして、
2日目の夜が更けて行きました。

明日は、
「感謝の気持ち」について、
合宿での体験も交えて
お話できたらと思います。

お読みいただいて、
どうもありがとうございます。

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