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そして、再婚

自分の人生に対し

なんとでもなれ!

と 振り切ってたからこそ
いつ死んでもいいや、という勢いで毎日を笑顔で後悔のないような日々を毎日忙しく過ごしてた。

人生でいちばん嫌なことは「後悔する人生」だからだ
死にかけた時に「後悔」なんて絶対したくない。
絶対にだ。

寝てる時間以外は仕事をした。
仕事をこの時は3つやってた気がする。
3つの仕事を日々執り行うなんて学生時代に比べれば楽なもんだった。

寝て
起きて
化粧して
荷物を作り
玄関を出る

帰りは終電もなく「白タク」での帰宅の日々

なんのために働いてるのかもわからない

仕事のため?美容のため?お金のため?
この時は家賃のため、支払いのためにまだ働いてた。

仕事の絡みを含めたとある場所で
ある人と出会った。

告白された。
私は結婚し、将来いつか授かるであろう生に対して罪をとても感じていたので
付き合う気も起きないし、相手にする気もなかった。

そりゃあ私は排斥された人で
結婚に失敗をし
親には散々な目にあい
パパ活したり
水商売で生計を立ててるからだ。

離婚してからは特に
また結婚を考えられる相手じゃないとお付き合いすらも嫌だった。
疲れ切っていた。
結婚という望みにかけるならそれなりの永遠の愛を感じさせてくれる人じゃないともう傷つきたくなかった。

彼には

たくさん
たくさん
告白された。


なんだか知らないけど
どれだけビッチだとしても
人生のどん底歩んでても
笑顔で前を向いて過去を振り返らず
生きていると人に好かれるらしくて
第2のモテ期がこの時は来ていた。

その中でもたくさん告白し続けてくれた人がいて、ストーカーにもなりかけてね

めんどくさくなって
付き合う事にした。
(よく根負けして付き合うことが多い)

自分自身よりも私をかわいがってくれて
愛してくれてた人だった。

だから、子供が出来たら結婚するんだろうな〜位で思ってた。
付き合って棄てる程の気力もない。笑


案の定、《授かり婚》したわけだ。

生きる意味をなくしてたのにも関わらず
結婚を考えるようになったのは
「帰る場所」が欲しかったからだ。

飛び続けた羽を休める場所が欲しかった。

もう、毎日働いて媚び売る生活にも疲れた。


実は私は子供が大嫌い
何故かと言えば、「親に従順でありなさい」と教わって生きてたからだ。

子供なんて言うこと聞かない
主張もうるさい
乱暴者で

という悪いイメージしかなくて
それすらも受け入れられなかったんだ。

それでも子供が欲しいと願ってしまったのは、「自分を愛しきれないからこそ、子供から貰える無償の愛が欲し」かった

だからだ。

パートナーの愛も信じられず
親からの愛も疑い
行き着いたその先は
「裏切らない無償の愛が欲しいから子供を産みたい」だった。


なんとまあ、自己中で自分勝手な話だろうか。

それでも、そうしなければ、もう日々の生活すらも送れないほど限界が目の前に来てた。

息を切らし続けながらマラソンしてたようなもので、精神の限界だったんだと思う。

10代前半からずっとピルを飲んだり
非行に走ってたからこそ
学生時代の栄養失調も合い重なり
限りなく【不妊】に近かった。

でも
妊娠はしたかった。

不妊治療は怖かったので民間療法やサプリメント、食事療法で妊娠をしたくなった。

これぞ、子を産むのに相応しい環境だとすら思ってた。産まれてくる赤ちゃんは教科書通りに完全体とすら思い込んでいた。まだまだJWの洗脳が解けてなかった


アメリカの文献や
いろんな学者に問い合わせ
調べて聞いてた結果

改善の余地があることに気づき
投薬治療と同時並行して生活も変えていった。

信ぴょう性のないことも信じた。
何かを信じて事態が好転するならばなんでもいい

やらずに後悔したくない。

この気持ちひとつだった。
このくらい、人生に必死だった。

そこで私は懐妊した。
嬉しい、を通り越して「戸惑い」だった。
望んでいたにもかかわらず、にだ

命が宿ったことが不思議だった

排斥されてから母に言われていた言葉がある
「妊娠したら中絶するの?」

この言葉が頭の中で反芻する

母に話した。
「妊娠した」

「…おめでとうでいいの?」

「うん」

「中絶は?するの?」
「結婚は?」

………。

もう、このセリフを聞いてから私の精神状態が錯乱に近くなっていく。

気が遠のく感じがする。


私の想像していた妊婦生活は得られず、
これを皮切りに、波乱万丈な妊婦生活を送ることになる。

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