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【初めてのnote】自分史①

初めまして!
妊活セラピストのかつまるみきです。
広島市在住で6才下の夫、6才年長の息子、
4才年中の娘、実母の5人暮らしです。

まずは私の自己紹介をしますので、ご興味ある方は最後までご覧ください!


1979年広島市南区生まれ。
家族はタイル職人の父、パートの母、3才上の兄の
4人家族。父はギャンブル好きで借金もあり、
よく母を悩ませていたが、それでも家族関係は
良好な方で毎週日曜日の朝は家族でモーニングに
行く事が日課だった。

二人目ということ、そして親族(いとこ)の中でも
1番下だったので、大変可愛がってもらってたのが
良いのか悪いのか。甘え上手で何かを買ってもらいたいが為に率先して親戚の家や祖父母の家へ遊びに行くという欲深さで、THE・内弁慶な性格へと育っていく。

その割に幼少期から誰よりも目立とうとする野心だったり、人と違うことをする事に喜びを感じていたので、様々な事にチャレンジしては成し遂げた時の達成感で自分を高めていた。
(むしろ出来て当たり前と思っていた💧)
典型的な熱しやすく冷めやすいタイプ。

幼稚園の時は、お弁当を1番に食べて早く外遊びすることを生き甲斐としたり、ジャンピング(体操)の時間が待ち遠しかったり、お遊戯会ではいかに自分が目立てるかで配役を決めていた。
その一方で、園にいる美術(絵を教える)の怖ーいおじいちゃん先生がしょっちゅう怒って頭をコツン(コレが地味にめっちゃ痛い)してくるので、鉢合わせしないようにビクビクしてた。

地元の小学校に進学。
頭より体を動かす方が得意で、大休憩と体育の時間が楽しみでしょうがなかった。
友だちの影響でピアノ教室に通いたいと志願。
教室には通わせてもらえたが、お金がないとの理由でピアノが買ってもらえず。
それ以外にも自所と他所を比べて貧乏なんだと痛感したが、それでも毎日は楽しかった。
また人と違う事で喜びを感じていた私は相変わらず至る所で自分の意思はあっても、人が選択した方じゃない方を選んで満足していた。

そのまま中学校に進学。
男女関係や上下関係のノリの違いに若干カルチャーショックを受けるが、徐々に流れに従うように。
承認欲求が強く、他人にどう見られているかが気になり始める。そして、自分が嫌われていると感じて特定の人以外に巣の自分が出せなくなる。
自分の意見が言えない分、人と違う事をすることで関心が自分に集まって満たされていた。

そして暗黒の高校時代。
公立の商業高校で男子は1割程度、ほぼ女子。
というわけで三年間ずっと女子クラス。
友達は出来たけどクラス全体の雰囲気に馴染めず
違うクラスの部活友だちと一緒にいる事が多かった。うまく自分を出せない空回りの三年間を過ごす。
そして早弁、部活帰りのマック、毎日アルフォートチョコを食べることで体重が63キロまで増える。
高校三年生になる頃、父の会社が廃業になり次の仕事が定着しないことで父と母の関係が良くないなと悟り、自分のお小遣いは自分で稼ごうとアルバイトを始める。当初は内緒でやっていた(申請出せばある程度許可される)が、悪い行いはすぐにバレるもので買い物に来た先生と見事ご対面。次の日から1週間の停学処分となる。
ちょうどアジア大会が広島で開催されたタイミングで、何かの競技を全校生徒が見に行くというのに参加出来ず。
そして進路を決める時期がくる。商業高校は卒業後、ほとんどの生徒が就職、1割が進学という中で私は当時憧れていた安室奈美恵さんに影響されてダンスがしたいと専門学校を希望する。
当然、両親(主に母)は大反対。ダンスの専門学校は東京と大阪しか無かったので「そんなお金がどこにある」とその当時の家庭状況のごもっともな回答が返ってくるも、やりたいと思ったら一直線になるタイプなので何とか良い方法はないかと探しまくる。
調べていると広島にもある事が分かった。
動物トリマーや美容、そしてダンスの総合学園でここに行きたい!と志願。

次回、半ば強引に許可を得て念願の専門学校へ行く所からお話しします!!

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