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第3章 事業の背景
日本のGDPランキングが4位へ下がったとあったが、図2を見ると日本は地べたを這うように横ばいである。合理化、効率化を頑張ってきたのに、である。GDPの成長は経済的に豊かになるかもしれないが、今のやり方では長年成長しなかったことは実証済みであり、これ以上合理化、効率化を突き詰めても、それだけでは生き辛くなっていくのではないだろうか。むしろ排除してきたものに目を向けてみる。
『柔らかい個人主義の誕生』 [山崎正和, 1987]では「国家はもともと、民族性や歴史の偶然といった非合理な力によって作られたものであり、合理的で普遍的な課題の達成にとっては、必ずしも最適の集団ではないからである。」と書かれ、「国家が目的思考集団化するにしたがって、地域はますます無目的な人間関係として後に残され、職場や学校や家庭といった他の共同体と較べても、はるかに戦闘的な組織力の弱い集団に変わってゐた。」とも書かれている。この書籍は昭和62年(1987年)に初版が出版されているが、まるで令和6年(2024年)の今の課題を書いているかのように、当時と重なる社会課題が今につながっている。
著者の山崎正和氏は第3章7「柔らかい自我の個人主義」の中で、自分を一定の技術を持つ人間として形成する「生産する自我」と、受動的にその満足に陶酔することを恐れない「消費する自我」とふたつの自我を表現している。これは前者を目的合理的、後者を目的合理的でないついでともいえる。「消費する自我」では「最大の消耗対象は時間そのものであり、時間あたりのものの消費は最小限に抑えられるのであって、これはその意味でも生産する行動とはまったく対照的な働きを見せるのであった。」とあるように、ついでも本来は無駄と省かれたり、優先度が低いと後回しにされたりすることだが、個人にとってはその無駄や後回しは目的よりも大切なことかもしれず、見ない、やらない習慣を刷り込まれているだけかもしれないのである。
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出典:World Economic Outlook (October 2023) - GDP, current prices (imf.org)
20世紀後半に生まれた筆者は、アナログからデジタルへの変化とともに成長した。子供のころは近所の人に見守られ、母親同士のネットワークが今のSNSよりも早く詳細な情報網であり、良いことも悪いことも母の耳にはすぐに入っていた。悪いことはその場でほかのお母さんが叱ってくれ、報告の必要がないと判断されると母の耳には入っていないこともある。良いことは(そんなに多くの記憶はないが)周りも一緒に喜んでくれ、子供ながらにくすぐったく感じていた気がする。高校生ではポケベルとPHSが広がり、その後インターネットの普及も急速に進んだ。
21世紀は社会人1年目の時に迎え、携帯電話が普及していくと家の電話が鳴るのは営業電話ばかりになり、在宅でも留守番電話にしていた。
通信手段をはじめ、テクノロジーの進化とともに個人情報の管理が強化され、法令以外にも「常識」「ルール」「一般的」などという見えない線や壁を気にしながら余所行きの自分になっている時間が増えて行った。
過去に執着したいわけでは無いが、待ち合わせ時間を間違えて待ち惚けしたり、ご近所からお御裾分けをもらって喜んだり、調味料が切れてしまってお隣に借りに行ったり、玄関にはカギをかけずに「こんにちはー」の声で玄関に入ったりできる関係性が懐かしく感じる。
この気楽さを実現する余白のある思想を日本語のついでという言葉に見出し、ついでという気楽な行動を広げ、そのコミュニティでは気持ちの余所行きを脱げる場所にしたい。ついでと言われると後回しにされる印象を受け、「どうでもいいような機会に何かをする」というイメージを受けるかもしれないが、辞書を引くと「何かをするのに利用できる、ちょうどよい機会」といった前向きな意味のほうが大きい。さらに、順序よく計画するとか、本来、別々の機会をタイミングよく併せることで、別の相乗効果を狙うといった、企画的な意味もある。かといって、ついでと言われると相手が気楽に受けて、余計な気を使わせずに済む効果もある。
こんなに前向きで気楽な言葉には大きな可能性を感じる。身近な人とついでに何かをする関係になることで、孤独・分断・不安を和らげられるのではと考える。そして、これは事業ではあるが人生をかけた長期研究でもある。事業として持続する仕組みを作るが、個々にとってのついでとは何か、ついでが広がるとどのような変化が生まれるか、ついでで始めたことがどのように余白を創出し変化していくのか、を地域性も研究しながら広げていきたい。ついでなので出来ない時もあるが、それでもいいと割り切り怒らない。そのような思想が広がり、ついでをおくりめぐる余白のある日本、余白のある世界になった社会を理想の社会として描いている。
■その前とつづきを読む
第1章 エグゼクティブサマリ
https://note.com/miki_fujitani/n/nf92c620c3b8a
第2章 はじめに
https://note.com/miki_fujitani/n/n6f3031081902
第4章 理想の社会
https://note.com/miki_fujitani/n/ne499dd3f2408