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【炎上】出身地の炎上、共通認識を持つ難しさ➁

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みなさんこんにちは。
色々あったことをnoteに書いています。
長文過ぎたので、2回に分けて投稿しています。


今日は第2回。

どんな話かは前回の記事を見ていただいて…


事実がどうこうではなく、感情論

こういう対立があった際、何があったのか第三者による詳しい調査を― ってよく聞きますよね。
それも大切だとは思うんですけど、こういう人間関係の問題は、証拠の映像や音声がない限り、何があったかの特定なんて難しいと思うんですよ。

「感情論なんて―」という思想があることも分かっています。
しかし、どう思ったかというのを、その都度話し合えていたらここまでのことにはならなかったと思うんです。
田舎かどうか関係なく、何かのコミュニティにいれば、「察する」文化や「当たり前のことをする」という流れ、ありますよね。

コミュニティに入りたてで察せない人、そのコミュニティの当たり前が分からない人に対して、いつものように察せ、普通に過ごせなんて無理な話です。

同じく、嫌だと思っていることを察せというのも無理な話です。
どう思っているかなんて、言葉にしてもらえないとわかりません。
相手の立場になって考えることが重要ですが、想像でどうにかなるわけではないんですよ。


また、新入りだから察せなくて当たり前と開き直るのも良くないと思うのです。
そのままだと、馴染むことがほぼ不可能に近いからです。

「察せ」「当たり前」はいつのまにか無自覚でやってしまうようになるのですから。

そんな当たり前(あえてそういう言い方をします)、
両者とも分かっていなかったのではないかと思います。

何がわからないのか。何をしてほしいのか。何をしたくないのか。
どう変わってほしいのか。どういうことに対して不満を持っているのか。
そういうの、言語化しないとわからないんです。


別子山では、地域活動とは何を指すのかが両者ともにわかっていなかったのです。


地域活動とは何を指すのか

地域の範囲は?

「地域活動」”地域””活動”に分けてみましょう。
まずは、”地域”について考えてみます

これを見ている人たちは、「地域」といえば、どのくらいの範囲を考えますか?
何を基準に考えますか?

行政や住所の区分けを基準に考えるのであれば、
国・都道府県・郡・市町村・丁目・番地 単位がありますよね。
他にも、30年前の市町村単位(平成の大合併前)や70年前の市町村単位(昭和の大合併前)などもあります。

学校基準で考えるというのもあります。
小学校の学校区・中学校の学校区・学校の地区大会の地区

地形や気象を中心に考えるのであれば、
四国・瀬戸内・嶺南・嶺北 etc……

文化とかで考えるなら、
西日本・東日本、東予・中予・南予、自治会・集落
というのもありますね。

とにかく、何を基準にどんな範囲を地域とするのか考えましょう。
意外と何を基準に考えるかというところの違いが食い違いを生んでいたりしています。


ひとつ、面倒くさい例をご紹介します。
昔から住む地域住民は30年前の市町村単位で考えているのに対し、
移住者は学校区を基準で考えているとします。
その範囲は地図で言うと一緒です。
しかし、この両者は今の行政に対する考え方が違います。
地域住民からすると今の市町村は、自分たちの地域と最近行政組織が同じになったその他の地域です。
対して、移住者からすると、今の市町村における一つの学校区でしかないのです。

少しでもわかりやすいように、イメージ図を用意しました。
〇〇市□□地域の人の考え方です。□□地域の範囲は同じなのですが、考え方が全然違います。

昔の市町村単位で考えた場合
学校区で考えた場合

この微妙な違い、わかっていただけましたか?

「わからない」という方、大丈夫です。
わからなくて当たり前です。

地域1年目の人が30年前の市町村ベースで考えるなんて無理なんですよ。
その地域の人からしたら当たり前の考え方としても。
だから、範囲が同じ、学校区とか、わかりやすい考え方で地域の人が言っていることをそれっぽく理解するのです。

でも、それだと、意見がいつの間にか食い違うものです。


どんなことを活動と言う?

次に、”活動”に関して考えてみましょう。

自治会活動が活動になるでしょうか。
学校の奉仕活動が地域活動になるのでしょうか。
地元住民たちで作っている企業組合の活動がその活動になるでしょうか。

地域の人たちからして、自治会活動はやってあたりまえの世界です。
地域に住んでいる以上、無賃でやるのが普通の世界です。
自治会活動を仕事としてやるのは、不公平すぎませんか?

次に、学校での奉仕活動の場合を考えてみましょう。
学校に関係ない地域の人が学校のために何かをしていたら、地域のための活動っぽいなと私は思います。(地域の活気には不可欠なものと位置づけられるから)
でも、自分の子供が通っているという人が学校のために活動をしていたって、それは地域のためというより、子供のためって感じがします。(あくまで私の意見ですが)

以上のことから、私は自治会、学校の奉仕活動もなんだか当てはまらないような気がします。

他の選択肢の地域活動考えた場合、地域の住民団体、企業組合が考えられるでしょうか。
個人活動と区別する場合、これくらいだと思います。
地域の住民団体と言っても、企業組合と言っても、中心メンバーは一緒ですし、違いは分かりにくいです。
中心メンバーを避けようとしてしまった場合、正直、地域の活動なんてできないんですよ。

同じ、”活動”だとしても、どこが主体の活動か、誰のための活動か、どこで行う活動か、誰が関わっている活動か、様々な場合を考え、話し合いをする必要があります。
そして、何を基準その区別をつけるのか。
すべての活動を始める前に合意をしておかなければ、双方がモヤモヤしてしまします。


共通認識を持つことが大切

以上のことを踏まえ、言いたいことはもちろん。
共通認識を持つための話し合いをじっくりしましょうということ。

共通認識がないと、モヤモヤが溜まっていって、爆発してしまいます。
モヤモヤの原因がわかりやすければ、その都度いえばいいのですが、前提条件が違うなかでうわべだけの会話だけをしていても、根本的な解決にはなりません。

できれば、どちらの意見もわかる地域の若い人とか、Uターンしたての人とかを入れて話し合いをすると良いと思います。
その前提条件の違いに気づける人
それが難しいんですけどね。

こんな風に私はどちらの意見もわかりますよって顔をしていますが、これは外に住んでいるからなのかもしれません。
自分の周りのことって本当に見えないものですからね。
言葉にできていない食い違いに気が付ける人でいたいなと私は思います。


他にも気になることはあるので、また、まとめますね。
〈③につづく〉

別子山村生まれ最後の子ども
伊藤みき👓



おまけ。

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よろしくお願いいたします。

特に何も返せないのですが……
ただの私の別子山へのモチベーションに変わっていきます。

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