”太陽”の様な”大陽”
彼と初めて会話をしたのは、今年3月30日魚津桃山球場での練習試合、対新潟医療福祉大戦でだった。
試合前、アップを終え一汗かいた彼に、スタジアム横の通路ですれ違い様になんとなく話しかけ、誕生日がバレンタインデーいう話題で盛り上がった。
バレンタインデー生まれの有名人は、のりピーこと酒井法子女史、「ごめんね、まーちゃん」ことマルシア女史、先代の林家三平家長女であり峰竜太氏の奥様、海老名美どり女史くらいしかおらず、男性有名人はほぼ皆無。
バレンタインデー生まれの男性有名人は出ないかなと互いにくすくす笑い、それから挨拶をしあう間柄になった。
新入団ながらショートとして固定され、開幕当初は7番を打っていたが打率が上がってくるに連れ5番になり、最終的には一番槍として1番に固定された。
外角寄りの球に合わせるバッティングで逆方向のライト側に鋭い打球を飛ばすシーンを何度となく見せ、四球選びも多く、佐野と言えばきっちり出塁すると言うイメージが自分には定着した。
日本海リーグの首位打者をチームメイトの三好辰弥選手と争い、最終的には打率.336、OPS.821と惜しくも打率はリーグ2位の成績だったが、1番打者としての役割を充分に果たした。
彼を一言で現すとすれば、”真面目”。
いつもアップを淡々とし、キャッチボールは相手の胸元にきっちりと目掛けて投げ、黙々とバットを振る。彼がふざけているのは、あまり目にした事が無い。
差し入れをしても、団栗眼の瞳で相手の顔を真っ直ぐに見つめ、大きな声で
「ありがとうございます。」
と帽子を取り頭を下げる。
残り5試合、リーグ優勝に向けて一戦も落とせない試合が続く中、例え大差でリードをしていても気の緩みを見せず、ユニフォームを泥だらけにしながらベンチ前で
「絶対、勝つぞ!」
と大声を張り上げる。
そんな彼とは9月14日、富山でのシーズン最終試合、アルペンスタジアム前で偶然にも筆者と二人きりになる事があった。
来年はチームに残るか、他チームに移るか、引退して地元に戻るか。顔を合わせた選手に訊ねるのが、この時期はお決まりだった。
「今年一年、応援ありがとうございました。」
と頭を下げる彼に
「来年は?」
と訊くと
「地元(静岡)に帰ります。」
「再来月、地元のくふうハヤテベンチャーズのトライアウトがあるらしいので、受けてみては?野球を辞めるのは、勿体ないよ。」
「う〜ん、どうするか分かりませんが、本当にありがとうございました。」
と深々ともう一度頭を下げてくれた。
驚きと嬉しさが入り混じり、今の心境を何と表現して良いのか分からないが、そんな彼が阪神タイガースに支配下ドラフト5位で指名された。
野手として支配下での指名は、球団史上初。
佐野大陽選手、おめでとう。TVの前にも関わらず見せたあの男泣きには、もらい泣きしたよ。
でも、本人が一番分かっている筈だが、まだまだ精進すべきポイントは山の様にある。守備でのポジショニング、セカンドとのコンビネーション、盗塁への劃策などなど。
富山で見せてくれた明るい太陽の様な笑顔、打席に入る前にバットにキスをするパフォーマンス、一球一球真摯に向かう姿。
横浜ファンとしてはこっそり、尼崎や甲子園に応援しに足を運ぶので、ますます成長した姿を見せて下さい。
そしてバレンタインデー生まれの男性有名人として、代表格となります様に。
(写真は全て筆者撮影)