note〜006〜ひとづきあい

このことについて多分語るのは自己を語る上での一つの大切なこと。本来noteに書きたかったのは自分というこんな人間がいたってのを何となーく残すためだったからこういう使い方が自分の中での正しい使い方なのかな?

小さい頃から相手をとりあえず、まるっと信じるのが何となく染み付いてて、世の中悪い人は(そんなに)いないんじゃないのって思ってて痛い目を何度か見てきた。

特に女性関係では痛い目は色々。いや、男友達(もう友達とも思ってないけど)もそこそこか。


大きなトラウマというか、人って信じられんものだなって徐々に思わされたのは小学校の頃、林間学校の次の日だったかなんかに、当時は友人(と思ってた)のk君に唆されて好きな子に告白したことがあった。でも実際はk君と俺が好きな子は付き合ってたのかな?なんかよくわからんが、そこから地獄の日々が中学終わりまで続いた。

自分が廊下歩いたらモーセみたいに人が離れて道が開いた時はなかなか衝撃的だった。中1の頃のクラスの係決めで一緒になった女子が泣いたのには流石に心が折れた。その子と隣になった時に、席も一人だけ間空いてたし。いや、くじ引きだから仕方なくない?

先生は「なんかあったの?」って聞いてくれたのに何もしてくれなかったから当時の先生も嫌いになってた。そりゃ心も性格もねじ曲がると思った。

あと、しんどかったのは上履きが二日連チャンで無くなったのは嫌だった。なくなるのはまだしも、親に言わなきゃならないのがまた、しんどかった。こういうの書くとなんとなく自分が中学をどう過ごしてたかがわかるのかな。でも、水泳部だけは楽しかった。

高校に上がってからは男友達には本当に恵まれたと思う。今でも付き合いがあるのはこの時できた友人だし、今自分がやってこれたのも高校の友人あってのこと。自分の過去を全て話した友人は高校の一人だけだし。救われてる。


大学上がってからは相変わらず男友達には恵まれて(というかほぼ男だけの大学だったけど)今も付き合ってもらえてる。


他にも社会人になってから色々紆余曲折あって、ちょっと人間不信になったりすることもあったけど、やっぱり基本は人を信じてみる方が強い。というか、上辺だけでも信じてた方が楽だし。


凄い狭い人付き合いだけど幅は本当は広げたいなぁって思って試行錯誤してるが、この歳で交友関係一から作るのってなんとなく疲れるんだ。


最近のニュースでプロレスラーの方がSNSで誹謗中傷されてなくなったけど、そのニュース話を見て、色々思い出したので書いてみた。


             2020/5/28(木)



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