自分が自分の思う人間ではなかった話
ここ最近、全てが停滞している。停滞している人間がやることは大なり小なり同じで、自らの乏しい過去を振り返るぐらいの行為や、無気力になるなりといったことに収束する。
その例に漏れず俺も過去の思い出と言う名のぬるま湯に浸かっていたのだが、そこで発見したのが6年前の俺の日記である。
今はもう使っていないオンボロスマホのメモ帳に書かれていたその日記は、何事も続かない俺の人生を象徴するかのごとく3ヶ月足らずで終わっていたのだが、完全に他人事としてその日記を鑑賞すると色々と思うところがあった。
第一に言えるのが、俺自身は自分が思うような人間ではないということだ。俺の自己評価は地を這うレベルではあるが、もっとも俺と関わってきた人間は俺に他ならない。
俺自身の自己評価とすれば、あまり怒らない、そこまで感情を表に出さないといったものが挙げられる。しかし日記を見て思ったのが、まったくそんなことはないということである。
精神不安定な時には明らかに精神不安定であるし、動揺しているのも実にわかりやすい。怒るときには(わかりにくく)怒っている。俺はそこそこ一定のテンションで行動している気がしていたが、これは全くの筋違いであった。
俺は俺が思う人間ではまったくなかった。
話は変わるが、世間に出ると「いったいどうしてこの人はここまで悪意を持って行動しているのか」と思うことが多々ある。俺達が子どものころは戦隊ヒーローやらプリキュアなりをみたりして悪役を華麗に叩きのめす姿を刷り込まれているわけで、それを見て自らが10年後20年後、その悪役並の存在になりたいと思う人間はそうはいないと思う。しかし人間はたやすく他人を傷つけるし、社会は冷たく人に無関心であり、すべてが無機質に思える。
俺は皆が皆、自己評価を間違っているのではないかと思う。みな自分の中の自分像はもうすこし優しいのではないか。そう考えると少しは救いがある気がしてくる。
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